第八話 杏里と傷跡(前)

 月曜日。

 昨日のゲーセンめぐりの反動か、真は眠気に襲われていた。

 1日かけて外に出かけたのなんか久々の事で。

「よう、真」

「お……おう」

「何だよ、元気ねーな」

 元気なさ気に答える真。

 それとは対照的な彼方。

 今日を乗り切ることが出来るだろうか。

 何だかだるい。

「二人とも、おはようございます」

 けろりとした声。

 遥だった。

 彼もまた、元気に登校していた。

「大丈夫ですか、塚原君」

「何とか……」

「嘘つけ。この万年寝不足男が」

「うるせぇ」

 国語の用意をする。

 真由が担当のこの教化。

 寝るわけにはいかない。

 そう、寝るわけには。

***

「しまったぁぁぁぁぁ……」

 ガッツリ寝ていた。

「バーカ」

 彼方に言われる。

 たまらなく眠い。

 何か眠気を覚ます方法は無いものかと、彼方に問う。

「つってもなぁ……知ってる限りじゃ、まぶたにミント配合のリップクリームを塗るとかしか……」

「そんなもんもってねぇよ……」

「ああ! こんなところにみんとはいごうのりっぷくりーむが!」

 明らかに棒読みで、仕込んであるような言い方をする。

 そして右手にミント配合のリップクリームが。

 なぜリップクリームにミントが配合されているのか。

 どうやらスースーするため、息を吸ったときの清涼感が増すらしい。

「さあ、塗ってみよう!」

 嫌に張り切っている。

「んー、でもなぁ……」

「どうした?」

「いざやるとなると……」

「大丈夫、新品だから」

「何を言っている?」

 蓋を開け、中身を出す。

 手が震える。

 これはタチの悪い実験だろうか?

 そう思えてきた。

「ああ、やっぱり無理だ! 俺には出来ない!!」

 断念する真。

 彼方がリップクリームを手にする。

「しょうがねぇな。俺が塗ってやる」

「いや、遠慮しとく」

「遠慮すんな。バルス!」

 むりっ。

 まぶたに鈍い感触が。

 直後、有り得ない激痛が真を襲う。

「ぎゃああああああああああああああああっ!! 目が!! 目がぁぁぁぁぁっ!!」

 悶絶する。

 痛すぎる。

 ちなみにバルスとは。

 天空の城ラピュタに登場した呪文の一つ。

 この呪文の発動により空に浮かんでいた城ラピュタは崩壊し、宇宙へと上っていくわけだが。

 真の魂が上りそうになっているのは言うまでもない。

「どうだ、眠気は飛んだか?」

「俺の魂が飛びそうになったわ、ドアホ!! 死ね!」

 彼方の頭を殴る。
 
 とは言え、ばっちり眠気が覚めたのは間違いない。

 そこはきちんと礼を言わなければならない。

 だが、何を考えても今の彼方には怒りの言葉しか浮かんでこない。

「ちょ、おま……!」

 言おうとした所で、チャイムが鳴った。

 2時間目は地理。

 いざとなれば寝ることも出来る。

 しかし。

(ダ……ダメだ。全然眠くない……)

 先ほどのリップクリームのおかげで眠気が全然無い。

 かったるい。

 これほどまでに地理の授業はかったるかった者か。

 ぼけーっと考えていると、あることが浮かんできた。

 1週間後。

 1週間すればゴールデンウィークがやってくることを。

 学生にとってゴールデンウィークはいわば臨時収入のようなもの。

 これでまたゲーセンめぐりなどといわれたら体力が持たないが。

 ゴールデンウィークはどうしよう。

 寮の中でごろごろするもよし。

 そんなことしたら涼子達にいじられ放題いじられるが。

 外に出るのも良し。

 そんな事したら資金が飛んでいく飛んでいく。

 彼方と戯れるも良し。

 そんな事したら体力が飛んでいく飛んでいく。

 何故か二言目には悪い方へ悪い方へ考えてしまう。

 一番得策なのは寮でごろごろして、適当に外に出て、適当に彼方と戯れるという事。

 これが一番。

(よし、ゴールデンウィークはこれで行こう。うは、楽しみだなぁ……)

 気持ち悪いくらいニヤニヤしていた。

***

 さかのぼる事休み時間。

 ひなたと杏里、和日のいる2年3組。

「次体育ですね」

「そうね。早く行かないと、また飯塚にどやされるわ」

「それはかっちゃんがいつも遅刻寸前だからでしょう?」

「……ごめんなさい」

 何故か謝る。

 さて、着替える事に。

 男子も女子も一緒に着替える。

 そんな中、杏里が上着を脱いだ。

 彼女に右腕には、大きなアザがあった。

 丁度肩から肘までを広範囲に渡って広がっている。

「それ、何時見ても痛そうですね……」

「…………でも、大丈夫だから」

 杏里が言う。

 大丈夫とは言ったものの、その顔はどこか暗い。

「ねぇ見て、あれ」

「うっわー、きもちわるぅ」

 どこからかそんな声が聞こえてきた。

 和日が相手を睨もうとしたが、杏里が止める。

 別に慣れているから。

 そう言う。

 だが、今日のは訳が違った。

「あの子って、確か施設にいたんだよね」

「そーそー。だからあんなに無愛想なんじゃないのぉ?」

「もうすこし「コミュニケーション」を学べっての!」

「言えてるぅ」

 もう我慢の限界だった。

 和日が叫ぶ。

「ちょっと、アンタ達ねぇ!」

「待って、かっちゃん!」

 ひなたが止める。

 杏里の方が震えている。

「杏里……ちゃん?」

 杏里が教室を飛び出していった。

「あ……ちょっと!」

「あの格好で、寒くないんでしょうか」

「んー……そこじゃないと思うよ、突っ込むの」

 杏里が戻ってくる。

 上着を着て、再び飛び出していった。

 なんとも緊張感の無い。

 後を追う二人。

 道中で亜貴と沙耶と出会う。

「どうした、ひなちゃんにかっちゃん」

「亜貴! さやちー! ちょうど良かった」

「どうかしたの?」

「杏里ちゃんが、教室を飛び出したのよ」

 ひなたが説明する。

「それで、教室を出て行ったと?」

「ええ……」

「まったく、いるのよね。そう言うバカみたいな事言う人って」

「とにかく探さなきゃ!」

「待った」

 亜貴が携帯を取り出す。

 そしておもむろにメモリーから電話番号を割り出す。

「探すなら、人数は多い方がいいだろ?」

***

「なるほどね、事情はよく分かったわ」

「お姉ちゃん……」

 涼子が合流した。

「それじゃあさっそく……」

「ひなちゃん、待って」

 今度は涼子だ。

「もう一人、いるでしょ?」

***

(よし、ゴールデンウィークはこれで行こう。うは、楽しみだなぁ……)

 ニヤニヤしていた真。

 授業もそっちのけ。

「失礼しまーす」

 教室の扉が開く。

 そこには涼子が。

「な……真奈瀬!」

「どもども〜。ちょっと塚原君借りていくわね」

「はぇ!? ちょっと、涼子先輩!?」

「早く来る!」

「うわぁぁぁぁっ!」

 連れ去られる真。

「待て、真奈瀬! どういうつもりだ、今は授業中……」

「こっちは緊急事態なんですよね。だから意見は聞きませんよ?」

 そう言うと真を連れて行った涼子。

 先生もあきれていた。

***

 事情を説明するひなた。

 真もその重大さに驚いていた。

「探すって言っても、どこを探すんですか? 手がかりとかは……」

「無いんですよ……ごめんなさい」

 ひなたが謝る。

 別段そう言うつもりで言ったわけではない。

「それじゃ手分けして探そうか。携帯、持ってるわね」

 涼子が指揮を執る。

 皆の形態番号は事前に聞いていた。

「見つけ次第連絡する事。これ、鉄則よ? それじゃあ、解散!」

 それぞれが当ての無い捜索活動をすることに。

 現在午前10:25分。

 もう少しすれば授業も終わる。

 そんなことを考える真。

 とりあえず近辺から捜索する事に。

 行きつけのプラモ屋に聞いたり、道で出会う人々に聞いたり。

 が、どれも良い情報とはいえない。

 何しろ情報が少なすぎるのだ。

 杏里がどこへよく行くかなど、聞いておくべきだった。

「聞いてみるか……」

 携帯を取り出す。

 と、探すのに夢中になっていたのか1件、着信があった。

 履歴を見るとそれは彼方からだった。

「彼方……? 何の用だ?」

 彼方に電話をする。

『よぅ、真。どうしたんだよ、お前。急に教室から連れられてくなんてよ』

「実はな……」

 一応彼方にも事情を話しておく。

『なるほどな……。そう言うことだったか』

「そう言うことだ」

『よし、俺も手伝ってやる!』

「良いのか?」

『ああ、困った時はお互い様ってね。で、お前は今どこにいるんだ?』

「昨日のゲーゼンめぐりで一番最初に立ち寄った店の近くにいるんだ。頼む」

『分かった。待ってろ』

 10分が過ぎた。

 彼方がやってくる。

 手がかりとか無いのかと彼方が問うが、何も無いと言うしかなかった。

「どこか思い出の場所とかなら行くんじゃないのか?」

「思い出の場所といってもな……」

 真が考える。

 そこで一度与えられた情報を整理することに。

 杏里の右腕には傷がある。

 そして彼女はどうやら施設の出身らしい。

 それくらいしか情報は無い。

 もしかしたら傷の関係で病院にいるかもしれないが、そこが思い出の場所となっているとは考えられない。

 ならば行く先は自然と決まってきた。

「施設……」

「だな」

 しかし施設といえどどこに行けば良いのか。

「図書館で調べてみるか?」

「そうだな。どれだけあるか知りたいし……」

 まずは図書館。

 地図を借りる。

 こんな時地理を覚えていれば何かと楽なのだが。

「……分からん……」

「ま、こういうのは俺に任せとけ」

 彼方が真から地図を奪う。

「施設ねぇ……。施設っつっても老人ホームじゃあないな」

「そりゃ違うだろ、普通」

「………なあ、こういう施設かな?」

 指を指したのは虐待などにより傷を受けた子供を預かるための施設。

 この町には一つしかない。

 虐待と考えれば杏里の傷の件も合点がいく。

 そこにいれば良いのだが。

***

 施設には子供たちがたくさんいた。

 見た感じ普通の子供たちと変わらない。

 しかし違うのは顔に傷を持つ子供たちが圧倒的に多いと言うことだ。

「酷いな、この傷」

「ああ……」

「あの、何か御用でしょうか」

 背後から女性の声がした。

 この施設の職員だろうか。

 名札には真と同じ苗字の「塚原」と書いてある。

「…………」

 真は口を開けたまま呆けていた。

「真? どうした?」

「いや……何でも無い」

「何か?」

「あの……ここに以前、神奈 杏里という人がいませんでしたか?」

「神奈…? あ、杏里ちゃん!」

 ビンゴだった。

 事情を説明する真。

 塚原は杏里について話を始めた。

***

 杏里の家庭はなかなか複雑な事情を持っていた。

 杏里の母親は早くに死んだ。

 その後、父親は女を作りその女と杏里を連れて結婚。

 が、新しい母親が杏里の愛想の無さに日増しに苛立ちを覚え。

 そのときから杏里への母親の虐待が始まった。

 しばらくして虐待の事を知った父親は杏里を引き取り女と離婚。

 そこで終わったようにも思えたのだが。

 虐待は続いていた。

 父親によって。

 2度目の離婚の直後から、父親は何をしても上手くいかない日々が続いた。

 仕事をしてもミスばかり。

 挙句の果てにはリストラされ、生活資金を得るために借金をする。

 そして彼にもまた苛立ちが募っていた。

 虐待は日を追うとにエスカレート。

 そしてあの傷が生まれてしまった。

 ある日父親は今で遊んでいた杏里に熱湯をかけた。

 そして叫ぶ。

 お前がいるから、俺の全てが上手くいかない!

 お前なんか死ねば良い!! そうした方が俺のためになる!

 何度も何度も叫び、蹴る殴るの暴行を加える。

 騒ぎを聞きつけた近所の人が家に入り、父親を押さえ込み警察へ。

 その場で杏里も保護される事になったのだが。

 あまりにもおびえていた。

 母親と父親から虐待を加えられ、挙句の果てに死ねばいいと言い放たれ。

 体の傷は次第に消えていった。

 熱湯による火傷の痕以外は、外見の傷は全て消えた。

 が、心の傷は癒えていない。

 それからの杏里は対人恐怖症に襲われる。

 見知らぬ人間にはまず心を開かない。

 真っ先に自分をいじめに来たのだと思い込んでしまう。

 カウンセラーに頼んでみてもこれは重症だと言う。

 次第に施設の人間は杏里の体の異変に気付いていた。

 施設に入って1年が過ぎた時。

 彼女の成長は遅れていた。

 おそらく精神的な傷があまりにも大きかったのだ。

***

「こういうことがあったのよ………」

 話を聞き終えた真も彼方も黙っていた。

 あまりにも悲惨すぎるこの虐待の実態に、現実から目を背けようとした。

「それでも私たちは頑張ったわ。2年かかってようやく彼女は私たちに心を開いてくれたの」

「………どこか」

 真が言う。

 声が震えている。

「どこか分かりませんか! 杏里先輩の行きそうな所! このままじゃ、このままじゃ……!」

「俺、なーんか嫌な予感がするんですよね……」

「行く所といっても………」

 塚原の言葉が詰まる。

 ここまでか。

***

 施設の正門に二人はいる。

「ありがとうございました」

「いえ、私こそあまりお役には立てずに……」

 塚原が笑う。

 真はその笑顔に見とれていた。

(……似てる。つーか瓜二つじゃねぇか)

「真、早く行こうぜ」

「あ、ああ……」

 二人は施設を後にする。

「あの」

「はい?」

 塚原が声をかける。

「貴方の名前は?」

 突然そんなことを聞いてくる。

 何なのだろうと真が答えようとする。

「俺は木藤かな……」

「真です。塚原 真です」

「塚原……一緒の苗字ですね」

 塚原が再び笑う。

「私は風華。塚原 風華です」

 真はその名前を聞いて驚いた。

 風華――――――――――。

 あり得ない。

 単に同姓同名なのだ。

 自分に言い聞かせる。

 だってあの人は。

(死んだんだから……………)

「そ……れじゃあ」

 真が歩き出す。

 彼方がそれに続く。

 小さくなっていく真の背中を風華はただただ見ていた。

「真……真……?」

***

 結局は振り出しに戻ってしまった。

 これからどうするか。

 風華の言っていた杏里の母親の墓に行くか。

 それならば場所を聞いておくべきだった。

 と、手詰まりの中携帯がなった。

 着信は………沙耶からだった。

「もしもし、真ですけど」

『塚原君! 杏里ちゃんが見つかったわ!!』


(第八話  完) 



  トップへ