第七十二話 託児所へようこそ?

 ひなたは困惑していた。

 目の前にいる少女は何の疑いも持たずに、ひなたを見ている。

 純粋な瞳で、見上げている。

「えーと……」

 辺りに母親らしき人影は見えない。

「ままー」

「あのぉ、ママじゃないんですけど……」

 なおもひなたに懐いてくる。

 これは困った。

 連れて行くのも気が引ける。

 かといって置いていくのも、もっと問題である。

 ちょっとだけ、少女に断ってカバンの中身を拝見する。

 特に変わったものは入っていない。

 どれもこれもこの都市の少女なら持っていそうなものばかりで。

「困りました……特に情報もないようだし……」

「くうー、どこに行ったのー?」

「あ」

 少女の後方から声が響く。

 くうという名前と思われる言葉に少女が反応する。

「くう!」

「ままー!」

 少女が走り出す。

 どうやら本当の母親らしい。

 ひなたはほっと安堵した。

 くうの母親がひなたに近づき、頭を下げる。

「どなたかは存じませんが、ご迷惑をおかけいたしました」

「あ、いえ、お気になさらずに……」

「ままー」

「こら、くう! ……すいません。この子、女の人は皆「ままー」って呼ぶ癖で」

「はぁ……」

 だからか。

 先ほどからひなたの事をママママと呼んでいたのは。

 何とも面白い子ではあるが。

「ともかく、会えてよかったですね」

「ままー、ありがとー」

「……ええ」

 そういってくうの頭を撫でてやる。

 これで一件落着と思っていたのだが・

「あの」

 くうの母親が口を開いた。

「あったのも何かの縁ですから一つ、頼まれ事をしていただけないでしょうか」

「頼まれ事、ですか?」

 くうの母親の話によると、今日の昼ごろに祖父が亡くなったという。

 今から祖父の住む神奈川に行かなければならないのだが、帰ってくるのは週末の土曜日。

 それまでくうを預かって欲しいのだと言う。

 ひなたは返した。

 見ず知らずの人に預けても大丈夫なのですか、と。

「確かにそう思われるかもしれません。ですがくうも貴女にはこんなにも懐いていますし、急な申し出、且つはいとは言いにくいでしょうが……」

「……」

 困った。

 今日と土曜日は良いのだが、明日の金曜日はどうするべきか。

 寮にはいつも風華がいるとはいえ、この年齢の子供が一番大変なのだ。

 扱いとか色々と。

「……分かりました。3日間、責任を持って預からせていただきます」

「すいません……。何とか早くに帰ってきますので」

「まま?」

「くう、良い子にしてるのよ? お姉ちゃんを困らせたらだめだからね?」

「ままー」

 そういうと母親がくうに飴玉を渡して。

 立ち去った。

***

 寮に戻り、すぐに風華に事情を話した。

 流石の風華もふざける様子はなく、ひなたの話を聞いていた。

「大変だとは思いますけど、明日一日、よろしくお願いしますね」

「うん、任せて! 頑張ってみるよー」

「……」

 くうは黙って風華の事を見ている。

「ん、どうしたの?」

「この子、女の人を見ると間々って言う癖らしくて……でも、何か様子が?」

「おばちゃ」

「ひぃー」

 ガタガタと震える風華。

 まだそんな年齢ではないと言いたげな彼女を見て、「おばちゃ」と連呼する。

「ま、まだおばちゃんじゃないわよー? 呼ぶならおねーちゃんで良いわよー?」

「……ままー」

「どうも風華さんの事苦手みたいですが」

「そんなー」

 明日から世話をするというのに苦手ではどうしたらよいのだろうか。

 また明日もヒマをしそうにない。

 ただ、ここで一つ問題が。

 くうが果たして大人しくしているかどうか、である。

 この歳の子供なら何にでも興味を抱き、引っ掻き回すのが得意技。

 もちろん、くうも例外ではなかったのだ。

「あれ、くうちゃんがいない?」

「いつの間に……?」

「ふえーん!!」

 二回から泣き叫ぶ声が。

 急いで上がると通路で泣いているくうが。

 そのそばには白猫のレンがいた。

 引っかかれたのだろうか。

 くうをあやして、レンを遠ざける。

 すると、どこからともなく今度は黒猫が現れた。

 その姿にひなたは風華に顔を見た。

「増えてる」

 ちょっと知らない間に猫が増えていたのだ。

「あれ、知らなかった? 幽霊さんが結構前に拾ってきたんだけど」

「知らないですよ? そんなこと一言も……」

「名前はあんみつって言うのよ。おいしそー」

 ちなみにレンの名前の由来は練乳のように白いから。

 何と言うか風華らしいと言うか。

 その話はさておき、くうは猫が好きのようだが肝心のレンが完全に警戒している。

 どうしたものか。

「とにかくこの3日間、くうちゃんをレンちゃんたちに近づけるのは止めといたほうが良いかも」

「ですね。さぁさぁ、くうちゃん下に行きますよー」

 階段を下りる。

 なおもレンとあんみつの事をじっと見ている。

 落ち着いたところでお菓子でも食べようと風華が持ってくるが、ひなたは宿題の手直しをしないとならない。

 カバンの中から手直しを受けた原稿用紙を広げる。

「あれなにー?」

「宿題よ、お勉強なの」

 興味を抱いたかと思えばすぐにお菓子を口に含む。

 本当に何を考えているのか予測できない。

 何とか風華がくうと話をし、ひなたへも注目をそらしていたとき。

 涼子が帰ってきた。

 すると、くうの注目は今度は涼子に。

「な、何この子? 誰の子?」

「ひなたちゃんが預かってきたんだよ」

 涼子に事情を話す。

「ま、事情は分かったけど……この頃の子供が一番てこずるのよねぇ……」

「ですよねー」

「あとは他の皆にも同じこと言わないとねー」

 で。

 夕食時にくうについて話をした。

 もちろん皆、鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をしていた。

「そういうことですので大変だとは思いますけど……」

「うん、俺達は大丈夫ですけど……」

「まぁ、多分、ね」

 口々に大丈夫とは言うがやはりどこか心配なのだろう。

 ご飯を食べ終えたくうが一足先に立ち上がる。

 それを追う様に立ち上がるひなた。

 おちおちご飯も食べられない状況。

「でも、本当にその人って……」

 杏里が口を開いた。

 杏里が言うには、本当にその人がくうを「預けた」のかどうかと言う事。

 大体、ひなたが最初に言ったように見ず知らずの人に子供を預けるなど正気の沙汰ではない。

 もし、万が一にもありえないほどの低い確率だが、その母親がくうを捨てたとしたら。

 誰もが絶句したが、ありえない話ではない。

 杏里も同じようなことを経験した身だから今の事を口に出来たのだ。

 本人も言うのは辛いと思う。

「……ひなちゃんの預かるって行動は間違っていなかったと思うの……。でも、もうちょっと、だけ、念を押しても良かったと思う」

「杏里先輩……」

「……ごめんなさい」

「ま、まぁ杏里ちゃんの言う事もあるかもしれないってことで! ほら、さっさとご飯食べちゃいましょうよ!」

 無理やり空気を戻すも、やはりどこかぎこちない。

 その頃のくうは色々な部屋に出たり入ったりで、楽しそうではあった。

***

 金曜日。

「じゃあ行って来ますね……」

 どこか眠そうなひなた。

 そんな彼女に風華は心配そうに声をかける。

 前日の夜、くうと一緒に寝たのだが。

 寝れない。

 本読んで。

 トイレ行きたい。

 喉かわいた、と散々な目にあった。

 その成果すっかり目が覚めてしまい、本格的に眠くなったのが夜中の3時だった。

 肝心のくうはリビングでチラシの裏に絵を描いている。

「心配だったら電話してきて良いよ?」

「あ、いえ、風華さんならきっと大丈夫と信じてますから……ふぁ」

「むぅ、心配だよぉ」

 軽く微笑み、ひなたは寮を出る。

 確かに眠いが、休み時間に仮眠をとれば問題はないだろう。

 そう思っていたときが彼女にはあったようだ。

 珍しく授業中に居眠りをしてしまう。

 その後も授業中にうとうと。

 これでは引き締まらない。

 何とか昼休みを向かえ、食事を取らずに眠りこける。

 それを見た和日と杏里は。

「ありゃー重症ねぇ……」

「……大丈夫かな」

「んー、明日が土曜日だから今日の夜早く寝れば良いと思うけどそれまで持つかしらん」

 持たないと思う、と杏里。

 その後も、ひなたは襲い掛かる睡魔と闘っていた。

 部活の時もやや眠そうにしている。

 一度生活のリズムが崩れると大変なのだ、人間は。

「ひなた先輩、大丈夫ですか?」

 慌てた真が声をかける。

 ひなたは小声で大丈夫ですと、告げるが明らかにダメである。

「一度休んだらどうです?」

「いえ、あと30分もすれば部活も終わりますので……今日は早く寝ますよぉー……」

 むしろ今すぐにでも寝かせてあげたい。

 おぶって帰りたい。
 
 いや、それは言いすぎか。

 ともかく今日は無事に寝れるように祈る事しか真には出来なかった。

***

 その日の夜。

 風華は今日あったことを話した。

 ちらりと亜貴を見て。

「あっきー君、泣かないでね」

「……もう良いです」

 亜貴は今にも死にそうな表情だった。

 今日、寮の中を探検すると言ってくうが寮の中をうろうろしていた時。

 亜貴の作ったプラモデルを発見。

 それを手に取り。

「まさか全部壊されるとは思わなかった……」

「ごめんねー、私がもうちょっと注意してればー……」

「いや、いいんスよ。また作れば良いんですし」

 むしろ次への創作意欲というものが沸いてきたのだろうか。

「他に何か壊されたものとかは?」

「ん、特になかったみたいよ」

 それを聞いて安堵する他の皆。

 くうはやはりひなたに懐いている。

 自分の母親と重ねているのだろうか。

「ままー、おかわり」

「ちょっと待っててくださいね」

 今夜も今夜で眠れそうに無さそうだ。


(第七十二話  完)


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