第七十三話  未来のこと

 10月10日 土曜日。

 すずめが鳴く、朝の事。

 真は毛布の中でもそもそとしていた。

「ぐぅ」

 とは言っていないものの、すやすやと眠っている。

 だが彼は夢の中で分かっていないのだ。

 現在が7時40分過ぎだということを。

 つまるところ。

「しんちゃーん、起きないと部活にー!?」

「ふが」

 部屋に荒々しく入ってきた風華にたたき起こされる。

 枕元においていた目覚まし時計を見る。

 血の気が引いて行く。

「ほあぁ!?」

「早く着替えないと間に合わな」

「着替えるから出てってくれないかなぁ」

「えー?」

 何故留まろうとするのか。

 おおよそ真には理解できない。

 おとなくし外に出てもらい、服を着替える。

 今日の午前は雨模様なので、あまり射場での練習は出来ない。

 雨が降ると矢に付いている羽が雨を吸って開いてしまうのだ。

 そうなると真っ直ぐ飛びにくくなってしまう。

 矢を射って、失敗して、地面にでも刺さったら大惨事だ。

 その代わりに一年は全員で的の張替えをする。

 的も消耗品、定期的に張り替えなければならないのだ。

 とは言え、的の張り替えなど初めてなので先輩に教わりながらとなる。

「おはよ、塚原くん。あらなーに、風華さんに添い寝でもしてもらった?」

「涼子先輩、朝からなんてことを……!」

「セクハラで訴えれば勝てるわよ」

 沙耶にそういわれて苦笑する。

 時々思う。

 この二人は仲が良いのか悪いのか全く分からなくなる。

「やぁねぇ、軽いジョークよジョーク」

「む」

 果たしてそれが本当にジョークかどうか。

 それは涼子にしか分からない。

 彼女の事だ、ジョーク以上の事は言わないとは思うのだが。

「添い寝も夜這いもしないわよ」

「ふーねぇもふーねぇで何か怖いこと言い始めるし」

「お互い、年下は大変ね……」

 まるで可哀想な動物でも見るかのような道場の眼差しで真を見る。

 互いに姉を持つものとして、似たような悩みでも持つのだろう。

 そんな話をしながら、朝食を運んで食べて行く。

 外は今にも雨が降りそうな曇天模様。

 薄暗い空が何とも気分を憂鬱とさせる。

「ご馳走様」

「お粗末さまでー」

 真が食器を片付けて再び二階に上がる。

 カバンでも持ちにいくのだろう。

 そこで、ふと、風華が気付いた。

 ひなたが降りてこないのだ。

 彼女に限って寝坊したと言う事は無さそうだが。

 しかし、一つだけ気になることがあるとしたら。

 くうも一階に降りてきていないと言う事だ。

 顔を見合わせる三人。

 そこへ現れた、幽霊さんと杏里、和日。

 涼子から話を聞く。

「ああ、さっき部屋の前通ったときは別に何の以上も無さそうだったけど?」

「……静かだった」

「寝てるんでしょうか?」

 口々にそんなことを言う。

 するとだ。

 二回がどたどたと騒がしい。

「だ、だめですぅー!?」

 ひなたの声。

 同時に階段を駆け下りてくる足音。

 何事かと思い現場へ。

 降りてきたのはくうだった。

 ただし、口に出してはいえない。

「ひぃー!? ぜん」

「言っちゃだめよ、風華さん!」

「つ、捕まえてくださいぃー!」

 涼子たちが立ちふさがる。

 くうは驚くほどあっさりと捕まった。

 どうやら彼女たちを困らせるために走り回っていたわけではないらしい。

 一瞬の嵐は、本当に一瞬で終結した。

「何があったのよ、ひなちゃん」

「その、着替えをさせようとしたら急に……」

「むぅ、謎の行動ね」

 小さな子供の考えている事は全く分からない。

 大人しくなったくうに洋服を着せる。

 今からひなたも部活だと言うのにこの調子で大丈夫だろうか。

「ん、さっきの騒ぎ何?」

 真が降りてきた。

「や、別に」

***

 午前8時30分。

 今日も時間通りに部活が始まる。

 射場に的、的枠、両面テープ、ガムテープを広げて作業を行う。

 その前に、一年生には説明があった。

 的を作るのに重要なのは、如何にして張りを出すかと言う事。

 よれていると、矢が当たった時に音があまり大きく鳴ることが無い。

 また、きちんと作れば的の中心がきちんと中心に来る。

 ずれていたりするとそこから的全体がずれ始め、中心が中心でなくなるのだ。

 その状態で練習をしていれば気付かないうちに矯正だってされてしまう可能性がある。

 説明を終え、まずは手本を見ることになった。

 的は基本的に一人で作る。

 まずは的枠の周りに両面テープを貼る。

 なるべく一周する程度が良いのだと言う。

 次に的の紙の部分の加工に入る。

 この用紙の一番外側の線に向かって放射線状に切れ込みを入れて行く。

 この時、大きさはなるべく均等にしておくことがコツである。

 その後、どれか一つの切れ込みを的枠に張った両面テープに貼り付ける。

 そして対角線上の余白部分を貼り付ける。

 更に対角線に垂直になるように余白部分を張る。
 
 これで四辺を貼り付けた事になるので、ここからは好きな部分から貼り付けていくと良い。

 しかし、これが中々難しく。

 引っ張りながら張らないと、先述したように張りのある的が出来ないのだ。

 ただし力を入れすぎると。

「あっー、破れた!?」

「うぁ、的枠が壊れた!? ひぃ、すいませんー!!」

 このように破いたり、壊れたりしてしまう。

 このとき使用していた枠は余っていたボロボロのもの故に、壊れても良い代物であったのだ。

 だからといって力をいれずにただ貼り付けてもよれよれの的になってしまう。

「この作業は流石に男子の方が慣れるのが早いかもね」

「む、たし、かにぃ……!」

 力を必要とする作業のため、女子には若干不向きかと思われる。

 その証拠に、数分後に出来上がった的を見れば出来は歴然としている。

 不慣れながらも、男子が作ったものの方が張りのある的となっていた。

 今日作り上げた的を使うのは明日以降となる。

 果たして、どのような音が鳴り響くのだろうか。

***

 さて、的作りに苦戦している頃。

 ひなたは寮の事が心配で心配でたまらなかった。

 いや、寮の事と言うよりもくうの事が心配で。

 迷惑をかけていないだろうか。

 何か壊したりしていないだろうか。

 そんなことばかりが頭をよぎる。

「大丈夫ですか、ひなた先輩」

「塚原さん……。いえ、寮の事が気になって」

 思わず声をかけて、真はやはりと思った。

 部活が始まってからのひなたは上の空で、どこか危なっかしく。

 真は言うしかない。

 大丈夫だと。

 それを言うしか方法が無いのだ。

 その頃の寮では、風華と和日がくうの相手をしていた。

 以前、施設で働いていた風華ならば子供の相手は楽だと考えていたのだが。

 あの時と今では状況が違うのだ。

 風華ですら苦戦している。

「……子供みたいな人が子供の相手で苦戦するとは」

「何か?」

「いえ、別に」

 くうは珍しいものを見ればすぐに手にとって振り回す。

 それが壊れても買い換えることが出来るものなら良いのだが。

 うっかりこの間届いたパソコンでも壊したりしたら。

「よし、ここは私が」

「和日ちゃん、頑張ってねぇ」

「ほーらほら、おいでおいでー」

 和日が誘導する。

 中々に慣れているようだ。

 その手には何故かボールペン。

 目の錯覚でぐにょぐにょと曲がって見えるあれをやってみせる。

 物珍しそうにくうが釣れた。

「今だ!」

 がっしりと抱き上げる。

 きゃあきゃあと笑い声が漏れる。

 ひなたの心配とは裏腹に、何とも平和な光景ではあった。

***

 12:20。

 ひなたと真、それに本屋に出かけていた沙耶、杏里、涼子が帰ってきた。

「ただいまー」

「あら、お帰り」

「和日先輩が出迎えなんて珍しい。ふーねぇは?」

「このお姉ちゃんっ子め。風華さんならあっちに」

 そういってリビングを見る。

 今の時間なら昼食の用意をしている頃だろう。

 そう思っていた時期が真にもあった。

 風華は椅子に座ってふてくされていた。

 口が3の字になり、何かぶつくさと言っている。

「どうもくうちゃんにおばちゃん扱いされたのが堪えているみたい」

「まだそのこと引きずってたんだ……子供の冗談だろうに」

 それでも言われた本人はショックなのだろう。

 一応昼食は作ってあるようなので、皆で用意をする。

 昼食はパスタだった。

 手早く作るにはうってつけだったのだろう。

 そもそもくうの相手をしながら、凝った昼食など作れるはずがない。

「で、午後からどうするの?」

「3時くらいにくうちゃんのご両親が見えるそうなので、それまで……」

「残り2時間半もおばちゃんって言われるのね」

「……」

「しんちゃん、たすけてー」

「えー?」

 それは無理な話で。

 人の呼称などすぐに変わるはずが無いので風華には後2時間半、我慢してもらうしかないのだ。

 昼食を食べ終えた辺りから、天気が下った。

 折角なのでくうをつれてどこかに出かけようという案が出たのだが、雨が降り始めたのだ。

 これでは外に出かける事だって出来ない。

 それに加えて、亜貴が帰ってきた。

 急な雨で帰宅する生徒の事も考えて早めに練習を切り上げたと言う。

 こうしてリビングに全員が集まったのだが、さてどうしたものか。

 するとどうだろうか、誰かがあくびをした。

 それに釣られてまた一人。

 そしてまた一人。

 連鎖的にあくびをしてしまう。

「お昼寝でもしますか?」

「そうねぇ、何か眠くなってきたし」

「じゃあ机どかすわね」

 机とイスを退かして、皆で横になる。

 雨の降る音だけが部屋の中に響いて行く。

 それが何故か心地よく聞こえ、30分もすれば皆、眠りこけていた。

 しとしとと降る雨。

 薄暗い空。

 彼らはそれぞれどのような夢を見ているのだろうか。

 誰かが寝返りを打てば、誰かが寝言を漏らす。

 そんな土曜日の景色である。

「う、うぅ?」

 ふと、真が目を覚ました。

 何か重苦しいものを感じた。

 くうが真の体を枕代わりにして寝ていた。

 これが原因だったのか。

 くうを起こさないように姿勢を正す。

「これで良し」

 再び眠りにつこうとした時だ。

 寮のドアがたたかれた。

「はいはーい」

 そのとき起きていた真が対応する。

 ドアを開けるとそこには夫婦と思われる男女が立っていた。

 真は直感で理解していた。

「もしかして、くうちゃんのご両親……?」

「ええ、突然の申し出に関らず快く承諾していただき、ありがとうございました」

「あ、いえ……」

 真がくうの両親に少し待ってくださいと告げ、眠っている皆を起こす。

 眠たげにしているが、事情を告げるとその眠気もすぐに吹き飛んだようだ。

 ひなたがくうをつれて玄関に向かう。

「くう! ごめんね、ご飯ちゃんと食べた?」

「ままー! おねーちゃんたちがあそんでくれたよー」

「おねーちゃんたちって……ままーじゃなくて?」

「良いんじゃないですか?」

 真とひなたで話をしている。

 くうが靴を履き、両親の手を握る。

 色々あったが、今思えば楽しかったのかもしれない。

「ばいばーい、おねーちゃーん!」

「ばいばい、くうちゃん」

 しゃがんで頭を撫でると、両親に手を引かれて寮を出て行く。

 こうしてまた一つの出会いと別れを体験したのだが。

「もし」

 ひなたがポツリと呟いた。

「もし、私も結婚したらあんな子が生まれるのでしょうか?」

 それについて、今の真には何を言う事も出来ない。

***

 寮を出た途中で、くうの両親は話し合っていた。

「何かさっきの二人、似てるわね」

「誰に」

「私たちによ、若いときの」

 くうの母が昔を思い出すように話し始める。

「若いとき、ねぇ……そんなに?」

「そうよ。無鉄砲でがむしゃらで、何か真っ直ぐな一本やりのような男だったじゃない」

「女の子のほうは、大人しくて、ちょっとぽやんとしていて……似てるか、お前に?」

 くうの母親が父親のわき腹を叩く。

 物は言いようであるということで。

「多分あの二人、くっついたら良い関係になるんじゃないかしら」

「おい、止めろよ、そう言うの。野暮な……」

「あら、良いじゃない。若いって素敵ねぇ。ねぇ、あなたもそう思うでしょ、真二?」

「……ひな、俺は何も言わないからな」

「ままー、お腹すいたー」

 くうの声でそれ以上の話を止める。

 そして今日の夕飯について話を始める。

 今日の夕飯は、ハンバーグになったのは数分後の事だった。


(第七十三話  完)



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