第六十六話 天高くヒト肥ゆる秋
9月17日、木曜日、夕方。
この日も彼女はゆったりと過ごしていた。
風華はのんびりとテレビを見ていた。
そして凄い勢いでテーブルの上のジュースを飲む。
「ぶはー」
豪快に飲み干して、次に煎餅に手を出す。
それすらもまるで飲み物のように食べていく。
何と言うか暴飲暴食という言葉が良く似合う光景だった。
「ただいまー」
ふと、リビングの窓から幽霊さんが姿を現した。
時計は午後4時。
学校が終わった頃だ。
「あら、はやかったねー。……とりあえず玄関からもう一度」
「えー……」
とはいえ、風華の言うことを半分冗談程度に受け流す。
そんな幽霊さんだが、テーブルの上に散らかったお菓子のカスや、コップに目が向かう。
「ふーかさん食べ過ぎ飲みすぎじゃない?」
「良いのよ。秋になると色んなものが美味しくなるんだから」
「そういう問題かねー?」
レンと黒猫のあんみつに声をかける。
ちなみについ最近判明した事なのだが。
あんみつとレン。
二つの名前にはある共通点があった。
白猫のレン。
黒猫のあんみつ。
レンという名前は「練乳」から。
あんみつという名前はそのままあんみつ。
つまるところ甘いものつながりなのだ。
つけたのは言うまでもなく風華本人。
「あんみつー、それいけー」
「なー」
あんみつを走らせて遊ぶ幽霊さん。
何とも和む光景であるが。
風華はそんなことに目もくれず、煎餅を食べ。
ジュースを飲んでいる。
そのとき玄関が開いた。
現れたのは和日だった。
「あれ、皆はまだかー」
「和日ちゃんお帰り。ほらほら座りなさい、おせんべ食べなさい、ジュース飲みなさい」
「何だか田舎のおばあちゃんみたいだけど頂くわ」
風華と一緒になって煎餅を食べる。
その中での風華の「部活は無いのか」という質問。
和日は生憎、水泳部。
活動期間は夏の間だけなのだ。
ゆえに、これからは真っ先に寮に帰ってくるという。
帰宅部ではない。
季節部なのだ。
「あ、美味しいわ、この煎餅」
「でしょう」
得意気になって皿に盛る。
ついつい和日の食欲が加速する。
さらにはこの時期になると出てくるものが。
外をゆっくりと走る一台のトラック。
懐かしいラッパを鳴らしながら言っている。
「石焼き芋」と。
急に立ち上がる風華。
急いで財布を手にする。
「焼きいも食べたい! 和日ちゃんも食べる?」
「んー? んー……じゃあもらおうかしら」
「じゃあ二つだね!」
駆け足で外に出る。
何とも平日の夕方という事を忘れてしまうようである。
風華が帰ってきたのはおおよそ10分後の事だった。
抱えている紙袋からはほんのりと甘い匂いが漂っている。
そして幸せそうに微笑んでいる。
「たべよー」
「あっつい!」
「気をつけないと火傷するよー?」
せめて手に取る前に言ってほしい。
しかしその熱々の焼き芋が美味しいのだ。
美味しそうにほおばる二人を見る幽霊さん。
「太るよねー、あれ」
「にゃ」
その日の夕食はひなたが当番だった。
メニューはカレー。
それを皆は美味そうに食べているのだが。
約二名、全くといって良いほど箸が進んでいない。
言うまでも無く、風華と和日。
「……」
「……あー」
「あの、お口に合わなかったでしょうか?」
ひなたがいう。
もちろん彼女に非はない。
煎餅にポテトチップス。
ジュースに焼き芋。
それらをぺろりと平らげているのだ。
夕飯の入る隙間などあるわけが無い。
「ふーねぇ、食べないの?」
「ううん、食べるよ?」
そういって食べ始める風華。
かなり無理をしているのは目に見えている。
皆が食べ終わった頃、やっと半分まで食べ終えた。
それほどまでに遅かったのだ。
和日もかなり苦しそうだ。
「無理して食べなきゃ良いのに……」
「うぅ」
その日はひなたには申し訳ないのだが残してしまい。
風華は早めに寝る事に。
和日も同じである。
次の日、彼女は地獄を見る。
***
9月18日、金曜日、朝。
風華が起きてきた。
昨夜とは違い、若干晴れ晴れとした表情で。
「おはよー」
「風華さん」
いたのは亜貴と真だった。
ひなたたちは出かける準備をしているとのこと。
「今日の朝ごはん何ー」
「カレー。昨日の残り」
「あー……」
真がよそって、風華の前に出す。
昨夜の事を思い出すが、あの時に比べると腹は軽い。
普通にカレーを食し、満足そうに口を開いた。
「ごちそうさまー」
「昨日の夜ご飯、残したもんね」
「ん、まんぷくよ」
そういって思いっきり息を吸い込んだ。
ふと、何かが弾ける。
そのまま宙を舞う塊が真の額を直撃した。
「イテェッ!!」
「……!?」
「……ボタン? 何で?」
真がその黄色いボタンを手に取り、目の前の女性の腹に視線が注がれる。
不自然にボタンが一つ無い。
そのシャツのボタンの色は黄色。
「ふーねぇ、ちょっと」
「いたいいたい」
風華がつれてこられたのは、洗面所。
そこにあるデジタル式の体重計。
電源を入れる。
乗ろうかと言わんばかりの真の表情。
それを断ろうとしている風華。
だが乗らないと解放してくれそうには無い。
渋々体重計に乗る。
絶叫。
「と、言う事があったのさ」
時は飛んで昼休み。
真は何時もどおり彼方と七海と食堂にいた。
「大変だな、風華さんも」
「自業自得ですわ、そんなの」
「そうは言うけどねー……」
もぐもぐと、Aランチを食べる。
風華は寮で家事全般をしているのだ。
それなりの運動量は確保しているが、それ以上に食べる量が多いのだ。
これではいくら動いてもマイナスどころかプラスになってしまうだけだ。
しかもカロリーの高いポテトチップスなどなど。
「しかしボタンが吹き飛ぶとは……」
「妊婦かよ」
「お前、人のねーちゃんを何だと思っているんだ」
その後もだらだらと喋る三人。
そこへ。
「塚原くん」
「有馬さん……?」
ふと、先日の事が頭をよぎる。
引きずるわけではないのだが、何となく顔を合わせ辛い。
なるべく普通に。
普通に。
「なーに?」
「これ、クッキー焼いたんだけど良かったら食べて?」
ちょうど話をしながらのおつまみにはなる。
それを4人で食べる。
ほろ苦く、中々においしいクッキーだった。
話に途中から入ってきた遥が、何の話をしているのか尋ねた。
真の説明を聞いて、理解したように頷く。
「でもダイエットってなると大変じゃないかなぁ」
「ま、本人の精神力次第だろうな」
「ふーねぇ、意外と弱いからなぁ……」
「そんなの縛れば良いじゃありませんこと?」
空気が凍る。
そこまでして痩せさせたいわけではない。
極論すぎる。
「あ、良い方法あるよ」
「ん?」
「その名も、食事ダイエット」
***
放課後。
部活に向かうため校庭に出る。
今日も何のかんので早くすぎてしまった。
まず帰ったら風華に食事ダイエットの事を放さなければならない。
食事ダイエット。
遥曰く、このダイエットの面倒な食事制限は一切無いという。
食べたければ食べればいい。
ただし、食べた後が大変なのだ。
食べた倍以上に動かなければならない。
おそらく最初は「そんなの簡単だ」と思い、普通に食べて、いつも以上に動こうとするだろう。
しかし、予想以上にそれが大変なのだ。
そして次からはこう思う。
動くの面倒くさい、食べるのを減らして運動量も少し減らしてみよう。
ようは今まで10食べていた時の運動量を20とする。
20だときついから、食事の量を10から6にして運動量も12に減らそう。
そうして少しずつ体質を改善し、終いにはそんなに食べたくなくなるのだ。
そうすれば後は自然と体重は減っていく。
風華の場合、運動量はおおよそ確保しているのだ。
しかしながらそれ以上に食べて寝ている。
それが太る原因なのだ。
が、おそらく風華はこういうだろう。
真も一緒じゃないと嫌だ、と。
「どうすっかなぁ……」
体重を絞るのは悪い事ではないが現時点で必要性が皆無なのだ。
風華のダイエットに付き合うのも、暇つぶしと思えば。
「こんにちはー」
道場に入り、支度をする。
そういえば10月にはいれば試合があるとか。
9月は他の部活は大会があるのに弓道部だけは少ない。
その試合には一年からも何人か選抜される事になっている。
入れたら良いなぁ程度に考えておく。
あまり気を入れて練習して、メンバーに選ばれなかった時のショックを味わいたくないのだ。
「塚原、ロッカー開いたぞ」
「おお」
荷物を置いて、始まりの礼をする。
静かな空気の中、真が弓を引く。
弦を放し、矢が放たれる。
空を裂き、矢は真っ直ぐに突き進む。
が、的には当たらない。
当たらなくても良いのだ。
最初から的に当たる人などいない。
最初のうちは感覚を掴むだけでいい。
感覚を掴んで、次第に的を狙えばいい。
その中で、当たれば喜ぶと良い。
と、顧問が言っていた。
当然、その時の真の的中数は4本射って、的に当たったのはゼロだった。
気にする事はない。
ど素人の真なのだ。
じっくり練習すれば良いのだ。
さて、この部活ではある程度矢が的の周辺に集まったらとりに行かなければならない。
それは一年の仕事で、弓を置いた真が取りに行く。
その裏側で、数人が集まって話をしていた。
「俺さっき4本やって3本当たったぜ」
「すげーな、お前」
「俺なんか2本なのに」
真にとってはどうでもいい話なのだが。
「塚原ー、お前、何本当たったよ」
「あ? ゼロだよゼロ。当たるわけがねぇ」
「才能の差かねぇ」
少しカチンと来る。
鼻で笑うと、その場を足早に立ち去る。
そうやって自慢していれば良いさ。
今に追い抜いてやる。
と、小さな対抗心を燃やしていた。
結局、それから真が的に当てる事ができた回数は合計で12回。
上々の結果だといえよう。
ただ、このことに慢心せずに日々努力を重ねなければならない。
「それでは、これで練習を終わります」
「お疲れ様でしたー」
部活が終わり、さっと着替えて寮に帰る。
ひなたを誘おうかと思ったのだが、すぐにでも風華にダイエットの事を伝えたかった。
きっと喜ぶ、かもしれない。
が、ふと冷静になって考えてみた。
「何でこんなに慌てているのだろう」
別に慌てるような事でもないし、急ぐ事でもない。
なのに部活が終わってすぐに道場を出る始末。
何が自分をそこまで駆り立てているのか、真は分からなかった。
そんな自分自身の事も分からない、悶々とした心のまま寮に帰った。
すぐに風華を呼ぶ。
「何ー?」
「あのね、今日有馬さんからダイエットの事聞いてきた」
「……ほんとに?」
何故か疑わしい。
真ならばともかく、遥が言ったのだからまず間違いないというのに。
そのダイエットについて詳しく説明をする。
最初こそ機体をしていた風華だったが、話が進むにつれて何だかその期待も削げてしまっている。
「ど、どうしてそんな目をしてるの?」
「んー……ダイエットって言うから期待したんだけど、それって普通じゃないかしら?」
食べた以上に動いて痩せる。
確かに。
「もっとこう、ガーっと痩せたいよぉー」
「そんな無茶な! 薬とかじゃないんだから一日二日じゃ無理だって!」
「じゃぁ、ダイエットなんか無理だわぁ」
呆れた。
曲がりなりにもダイエットの情報を仕入れてきたというのに。
これでは、絶対に痩せることなど無い。
日ごろから食事などをやはり制限するしかないのだろうか。
「ねぇ、ダイエットするの?」
杏里が声をかけてきた。
思わぬ人物からの声かけ。
「そうよ。何かあるの?」
「えっとね……プールとかどうかなって」
水の中で体を動かすのは地上で体を動かす時に比べると、倍以上の負担がかかるという。
それこそ毎日2時間、水泳を続ければ体力もつくし、何より痩せる。
風華の性格上、プールでばちゃばちゃとしているだけでも良いのだ。
とにかくプールで体を動かしていれば良い。
疲れて家に帰ってきたら、ぐっすり休めば体力も回復する。
あとは水着と水泳帽があればすぐにでも。
「でも、寒くない?」
「そこか」
「大丈夫。町の中心に温水プールあるから」
心なしかしょげる風華。
そんなにダイエットしたくないのか。
「良いじゃない。ヒマな時は俺も付き合うし」
「ほんと?」
「あー……うん」
「じゃあ今度の休みの日に水着を買いに行かなきゃね!」
別の意味ではしゃぎ始める。
こうして、風華はダイエットの開始を決意したのであった。
さて、どの辺りまでもつのだろうか。
それは風華の心次第でもある。
(第六十六話 完)
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