第六十五話 一つの話の終了
9月14日、月曜日。
今日という月曜日ほど憂鬱な日はなかった。
結局、ひなたに相談に乗ってもらったあのあと。
真はひたすらに思考をまとめようとしていた。
今日、遥にあったらなんと言おうか。
おそらく向こうはこの間の一軒の事を心待ちにしているかもしれない。
それどころか、向こうから聞いてくるかもしれない。
だけど、真の決意は揺るがない。
「いってくるー」
一人、早めに寮を出る。
風華が声をかけたとき、既に玄関に真の姿はない。
「あーあ、行っちゃったぁ……」
しょんぼりとする風華の肩に座る幽霊さん。
その足元にはレンと見慣れない黒猫。
「何くよくよしているんですか、風華さんらしくも無い」
「うー……お姉ちゃんとしては心配なのよぉ」
自分の足に頬を寄せているレンを抱き上げる。
「ちょーっと前まで普通だったしんちゃんが、あんなにボロボロになってるんだもの……。あれで心配じゃないーって言う方がおかしいわよ」
「む、確かに」
「ねー」
にゃぁ、と返事をするレンだが、果たして風華の行っている事を理解しているのかどうか。
そしてもう一匹、黒猫を抱き上げる。
「うー……貴方は誰ー?」
「まー」
「その子、ちょっと前に寮に連れてきたんだけど、良かったのかしら……」
「そ、そういうことは言わないとダメだよぉー!」
***
やはり朝早く寮を出ると周囲の景色は違っていた。
車もまだそれほど走っておらず。
通学路は比較的安全で。
通学している生徒もいるが、どこか足早。
部活の朝練でもあるのだろうか。
そもそも、何故こんなにも早くに寮を出たのか理解できなかった。
学校にいくのが憂鬱ならば、普通はもっと寮を出る時間を遅らせるものなのに。
いや、憂鬱だからこそ寮を早く出たのかもしれない。
早く出て、早く気持ちを落ち着かせて言うべきことを言って。
校門をくぐって、暫く外に留まる。
早く来たものの、教室に向かうだけの度胸がなかった。
時間が来ればいやでも教室に入らなければならないのだが。
あっちへうろうろ。
こっちへうろうろ。
ただひたすらにうろうろとしていた。
「しんー?」
「うへぇ!?」
声をかけられ、思わず後ずさり。
そこには彼方と七海が立っていた。
遥は一緒ではないみたいだ。
「何してんだ、そんな所で」
そうだ。
事情を知らない端から見れば自分のこの行動は奇行以外の何ものでもないのだ。
学校に着たのに教室にも向かわず、ただ同じ場所をうろうろとしている。
これのどこが普通と言えるだろうか。
いや、言わないだろう。
「あまり変な事ばかりしてますと、通報されますわよ?」
「そうならないように気をつけるよ」
「つーか、マジで何をしていたんだ、お前」
真は答えずにはぐらかそうとしていた。
答えた所で、また何のかんのといわれてしまう。
そうなると逆に辛くなる。
だから適当にごまかしていると、案の定「早く教室行こうぜ」と誘われる。
何とか、何とか計画通りに。
教室には既に数人の生徒がいた。
しいて言うならば天道と加賀美、釘宮にその取り巻きの二人。
何故この5人はいつも早いのだろう。
不思議でならない。
「うーす」
「よう、彼方。真も」
「ああ、加賀美か……」
「何だそのテンション。てんどーみたいだぞ」
「俺みたいとはどういうことだ」
言うまでもない。
朝だとテンションが低いのは良くある事。
特にそれが月曜となると効果は倍で。
「でも珍しいよね。いいんちょがこんなに早く学校来るなんて」
「俺にだって、早起きする時くらいある……」
「な、なんだってー!?」
「何故驚く?」
真が言った事に、皆が驚く。
彼方曰く。
真は年がら年中寝ている。
朝だってきっと起きれないのだ。
それを無理やり起こされて学校に来ている。
だから学校でも寝ている。
その真が、今日は8時よりも前に学校に来ているのだ。
どういう風の吹き回しだろう。
七海にいたっては「天変地異の前触れ」とまで言っている。
そこまで酷くはないだろうに。
次第に教室に生徒が入ってくる。
真は落ち着かない様子。
「何そわそわしてるんだよ? 落ち着けよ」
「む」
「さては誰か待ってるとか」
「む」
「何か言えって」
「む」
もはや何も言いたくないのか違うのか。
時間は刻一刻と過ぎていく。
授業開始五分前。
その時間になっても遥は現れなかった。
ポッカリと開いた席。
その席を見て、真は少しだけ胃が痛くなった。
真由が皆に伝える。
「有馬さんですが、家の事情で午後から出てくることになりました」
自分のせいではないと判明した時、肩をなでおろしたと同時に不安がよぎる。
家の事情とは言っているが。
どうも疑り深くなってしまっている。
ともかく、午前の間、遥はこないことが分かった。
果たしてこの事実は、真にとって神からの救いの手か。
それとも引き伸ばされた地獄か。
***
国語、数学、地理と授業をこなし。
4時間目は化学。
昼飯前ということで腹が鳴るが、そこは我慢というもので。
実験室に移動する。
目の前にはガズバーナーとフラスコ。
「なぁ、真」
「何だよ」
「漫画でさぁ、フラスコでカップラーメンって言うのがあるんだけど美味いのかなぁ……」
そこまで彼方は腹が減っていた。
朝から練習で、そのあと授業。
無理もなかった。
ただ、フラスコラーメンに関しては知るはずがない。
そんなに味は変わらないだろうし、逆に手間がかかるのではないだろうか。
「あら、ラーメンなら財閥の力をもってすれば」
「座った方が良いよ」
無理やり真が座らせる。
案の定、きぃきぃと声を出される。
その日の授業はガスバーナーと数種類の溶液を用いた化学反応の実験。
今まで見たこともないような炎の色に皆が驚き、声を上げる。
ヒトの思い込みというのは怖いもので。
赤い炎が一番熱いと思っていた。
しかし本当は違って、青い炎の方が空気中の酸素を多く取り込んでいるため云々という話を聞いた。
では緑の炎などはどうなるのだろうかと、真は考え始めた。
考えたところで学会に発表するでもないので、適当に意識の底へ沈めておく。
「あっちぃー!!」
鉄板を振り回す彼方。
どうやらじかに鉄板を触ったようだ。
涙目になる彼方に、水道の水を出す七海。
いつもなら笑える光景なのだが。
今の真に、少なくともそんな余裕はなかった。
よくある表現で、心の真ん中にポッカリと穴が空いたような感覚というものがある。
まさしくそれなのだ、今の真の心の中は。
その真を見る窓の外の瞳。
幽霊さん。
彼女も一応このクラスの一員なのだが。
「風華さんに言われて様子を見てるけど……やっぱり変だわ……」
ふわりと浮き上がり寮に戻る。
報告に向かったのだ。
堂々と授業をサボっている事に、彼女は気付いているのだろうか。
***
昼休み。
昼食を食べるために食堂に向かう。
「はぁ……」
「何だよ、お前朝から妙なテンションでさー」
「お前にゃ分からんて」
食券を買い、注文する。
頼んだカツ丼が車で座って待つ。
真由の話だと、午後には遥が来るらしいが。
「はいお待ちー」
カツ丼を手に取る。
「つーかーはーらーくーん」
「ま。涼子先輩に和日先輩?」
「おねーさまぁ」
彼方から離れて涼子に引っ付く。
「ちょ、離れなさいって」
「キミも大変ねぇ」
「何がですか?」
理解しているように、和日が言う。
「幽霊さんから話は聞いたわ。ずばり恋の悩みね」
「あー……」
近くもなく、遠くもない。
いや。
当たっているのだが、否定したい自分がいるのだ。
「そう言う事は何よりも私に相談しないと」
「得意なんですか?」
「いや、別に」
彼女の性格から言うと面白がっているのだとは思う。
ひなたに和日。
頼りになる先輩たちで助かったものである。
「で、決まってるの?」
「ええ、決まってますけど……あと一歩なんですよねぇ……」
「はい、どーん!」
背中を思い切り叩かれる。
今まで飲んでいた水を噴出しそうになった。
「どうよ」
「痛いです」
「じゃなくてさ」
和日が顔を寄せてくる。
「ふんぎり、ついた?」
どうやら先ほどのは彼女なりの「後押し」の方法だったらしい。
「どうなのよ」
そう思うと、ふっと胸のつっかえ棒が取れたような気がしないでもない。
「はっきりしないわねぇ」
「すいません……」
「優柔不断だと、後悔するわよー。ねぇ、せんぱ」
「ひぃー、助けてー」
いつものような強気な涼子ではなく。
半べそをかいている。
こうして懐かれるのは苦手なのだろう。
「いいなぁ、あの先輩」
「ほら、なでりなでり」
「何で俺が真になでられなきゃならねぇんだ!?」
「まぁ、その、な」
そしてふと、真の視線の端をある人物が横切った。
有馬、遥。
***
「それじゃーねー」
そんな声が聞こえ始める。
放課後。
昼食時に真が遥を見かけた。
しかし、ただそれだけだった。
遥も、どこか真を避けているようなそぶり。
真は真であの調子。
そうこうしているうちに放課後で、また一日が終わってしまう。
このままずるずる引きずって良いのか。
否、良いはずはない。
ひなたも言っていた。
最終的に決めるのは自分自身だと。
和日が後押しをしてくれた。
風華が心配していた。
それを何時までも続けるのか。
それではダメだ。
どこかで決意しないと。
「あの、有馬さん」
遥に声をかける。
「ちょっと良いかな?」
遥を呼び出す。
なるべく人が来ないように屋上へ続く階段。
昔から決まっているのだ。
何かあるときは屋上、もしくは階段。
遥は急に真に呼ばれて慌てているようだ。
「えと……」
「有馬さん、ごめん!」
突然の土下座。
遥の表情はきょとんとしている。
いや、先手を取られたと言った感じか。
「あの、塚原くん……」
「この間の事なんだけど……その、俺、有馬さんとは……」
「……うん、分かってたよ」
思わず勢いよく顔をあげる。
分かっていた?
じゃあ、何で泣いたの。
頭の中がぐるぐると渦を巻いている。
遥がその理由を話し始める。
「塚原くんが私の事、その……好きとかそういう気持ちじゃないのは分かってたもん。私がどんなに仕掛けても……」
「仕掛けてもって……」
だから彼女は考えたのだ。
きっと、他に好きな人がいるんだって。
でも、その人に真が告白する前にせめて気持ちだけでも知ってもらいたかった。
だから彼女はあの日。
結果的に事故が招いた結果でしかない。
でも、それはもしかしたら神様が与えてくれた最大のチャンス。
しかし、知っていた。
分かっていた。
真が振り向いてくれないってことは分かっていたのに、あんな事。
そのことを考えるだけで、自分が小さく、惨めに思えて。
だから彼女は泣いた。
悔しくて。
惨めになって。
「……何、言ってるんだろうね、私」
「それが有馬さんの本当の気持ち、答えなんだ……」
彼女は言った。
本当の気持ち、答えを。
「……塚原くんはどうなの?」
「……」
「最後まで、言ってないよね」
確かに、遥の声にさえぎられた。
真の本当の気持ち。
彼女はそれを知りたいのだ。
「俺は……やっぱり有馬さんの気持ちを聞いても、首を縦に振ることはできないよ」
「……」
やや間を空けて遥が口を開いた。
「それって、ひなた先輩?」
核心。
弓道部に入ったのも、ひなたに惚れたから。
昨日、自分の事を心配して部屋に来て話を聞いてくれたのは誰だ。
いつも、自分や他の人の事を気にかけている優しい先輩。
「ひなた先輩の事、きっと好きなんだよ、塚原くん」
「……」
「私みたいに。相手が気付いていなくて、自分が相手の事好きな状態なんだよ」
こんな状態、遥はずっと。
そう思うと、真は情けなくなってきた。
もっと早めに言っておけば、きっと。
「……ごめん」
「もう良いよぉー。大丈夫だから」
「……」
「叶うと良いね」
真の横に座って。
「塚原くんのその気持ち。私が叶わなかったから、絶対、叶えなきゃダメだよ? 失敗したら、怒るからね?」
***
その後、真は部活に。
遥も音楽室に。
ロッカーに荷物を置いて、扉を閉めたとき。
彼女は、泣いていた。
(第六十五話 完)
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