第六十四話 悩んで悩んで
薄暗い教室。
夕日の光が差し込む。
真はこの状況に信じられずにいた。
目の前には遥。
思い返すと、おかしな事ばかりだった。
「あ、あの……!」
やや早口で真が声を出すと、遥もやや早口で返す。
おそらく彼女も戸惑っているのだろう。
こんな状況になってしまったことに対して。
真が仰向けに横になって、その上に遥が座っている。
一歩間違えたら、危ない状況なのである。
「こ、こういうのは好きな人同士じゃないといけないと思うのですよ、有馬さん!!」
あまりにも動揺しすぎて口調が変になるが。
それが今の真にとってもの凄く言いたいこと。
しかし、それだけ言うと遥の様子が変わった。
冷静になって考えてみると。
先の言葉は真が遥の事を全く好きではないと言う意味が取れる。
この状況でそう言われたのだ。
しかも偶発的にとはいえ、遥にとっては言うべきことを言うチャンスなのに。
出鼻をくじかれてしまった遥はつい。
「……」
涙を流した。
真が奇声を上げる。
もし、この場に風華がいたら殴られるだろう。
女を泣かせたとなると、どう言い訳してもこちらが悪いのだ。
涙を流した遥が立ち上がり、走り去ってしまった。
何とも後味の悪い結末となってしまった。
***
起き上がる真。
眠そうに目をこする。
辺りを見回すとさくら寮の自分の部屋。
どうやら今のは夢だったようで。
9月13日、日曜日の事。
あれから真は遥とは連絡を取っていない。
いや、連絡を取れるような空気ではないのだ。
もそもそと立ち上がり洋服に着替える。
「……2回目、か」
実を言うと土曜日にも同じ夢を見ていた。
それほど、夢を見るまでに鮮烈だったのだ、あの出来事は。
もちろん風華にも、ひなたにも、誰にも言っていない。
おそらく真の様子がおかしいから何かあったとは勘付いているだろう。
ただ、その理由までは理解していないはず。
あくまで「はず」故に、確定は出来ない。
悟られないように。
自身の中身を悟られないようにしなければならない。
「おはよ」
「おはよー、しんちゃーん」
風華の出迎え。
ここまでは何も変わらない。
そう、周囲は変わらないのだ。
変わっているのは真だけ。
正直浮いている。
「朝ごはんはねぇ、トーストよー。熱々だから舌を火傷しないでね」
そう言われて出されたトーストを齧る。
バターの甘い味が広がるが。
その味を楽しんでいるほど、余裕は無い。
手早く食べ終え、食器を流しに置き。
顔を洗う。
「ふぅ……」
それにしても酷い顔をしている。
どれだけ悩めばこんな顔になるのだろうと、自分自身に問いかけたくなる。
あの日。
金曜日の放課後以来、真はもやもやとしている。
遥の気持ちに答えれば、誰も傷つかないで済む。
ただ、それが本当に正しいのかどうか。
「ちょっと、早くしてよ。後ろ詰まってるんだから」
そう言われて振り返ると、和日と杏里が並んでいた。
考えすぎて、行動が止まっていた。
「全く。涼子先輩だったら何時間でも立っていても良いけど、流石にねぇ……」
「でも、何か悩んでるようだった」
杏里の一言で顔をしかめる。
やっぱり気付いているのだ、皆。
自分が変だと言う事に。
「し、失礼します!」
ぱたぱたと駆けていく真の背中を見る二人。
それを見て和日ははっと閃いた。
「ははん。そう言う事ね。なるほど……」
「なに?」
「恋って怖いわねってことよ」
バレた。
***
結局のところ真は何も決められないでいた。
人によっては答えなさいという人がいる。
それではダメなのだ。
迷っている以上、ほいほいと首を縦に振るうわけにもいかない。
そもそも迷っていると言う事は、少なからず真には「その気」が無いと言う事で。
横になり、ただ悪戯に時間だけが過ぎていく。
ふと外を見ると、青い空が広がり、白い雲が流れている。
無言で立ち上がり、出かける準備をする。
外の空気を吸えば、どうするべきか決心がつくかもしれない。
「塚原さん」
玄関に座った時、ひなたに声をかけられる。
「ひなた先輩」
「お出かけですか?」
少し、どこかよそよそしい。
まるで何かを探るような。
真は首を縦に振る。
「そうですか」
目を細めて微笑むひなた。
「良い天気ですものね。こういう日に、お部屋にこもるのはもったいないと思います」
「ですね」
「気をつけてくださいね」
その言葉を聞いて外に出る。
九月の半ば。
涼しい風が外は吹いている。
晴れているとはいえ、八月に比べれば暑くはないし快適な空気。
セミももう鳴いていない。
照りつける日光の下、真は黙々と目的も無いまま歩いていた。
どこへ行こうかも決めないまま外に出てきてしまった。
財布の中の所持金も少ない。
どこで何をしよう。
まずは本屋か。
自動ドアが開いて涼しい風が真の体を突き抜ける。
休みで暇をもてあましている人々で本屋は賑わっていた。
特に読みたい週刊誌も無く、ぶらぶらとしているとあるティーンズ系の雑誌が目に入った。
表紙からして女子が読むものなのだが、特集が「告白の上手い答え方」。
何と言うタイムリーな特集なのだろうか。
ちょっとだけ読みたくなったが、ビニール紐で括られている。
これを買えと言うのだろうか。
いや、買えない。
何かしらのヒントはほしいのだが、買ってはいけない気がするのだ。
一度は手にしたものの、そっと元に戻す。
結果的に、本屋に来たものの何も情報を得る事は出来ず。
「ありがとうございましたー」
店員の声を背に、本屋を出る。
中の涼しかった空気とは逆に、暑い風が吹く。
財布の中を確認して、炭酸飲料を購入する。
口の中に心地よい感覚が生まれる。
自分は何をしているのだろう。
こうやって悩んで悩んで。
終いには人を傷つけてしまいそうで。
時々、嫌になる。
その場でハッキリとした答えが出せない自分が嫌で。
たぶん、誰かに後押しをしてもらいたいのだ。
自分と同じ考えの人に後ろを押してもらって。
何と弱い人間なのだろう、自分は。
自分の事なのに他人からの後押しを待っている。
空を仰ぐ。
苛々するほどに青くて。
苛々するほどに清清しい。
そんなマイペースに流れる雲と空を見ていると、さらに自分が惨めになる。
炭酸飲料を飲み干し、ゴミ箱に。
さて、次はどこへ行こうかと町をぶらぶらすると。
自分の隣をカップルが通り過ぎていく。
とても幸せそうなカップル。
もし、自分も遥の気持ちに答えていたらああなるのだろうか。
やはり、答えるべきなのだろうか。
***
ふと気がついた。
自分の携帯に風華からのメールが来ていた。
『ご飯はどうするの?』
出てきたのが午前で、今は太陽が天高く昇っている時間。
小腹は空いているが、そんなに食べたい気分ではない。
だから。
『特にいらないや』
そう返した。
すると瞬間的に返事が返ってくる。
何故か困っているような顔文字。
悪い事をしたような気分になる。
でも、食べれないものは食べれないのだ。
何を食べるでもなく、ぶらぶらとする。
ちょうど手ごろな休憩所を発見したので座って携帯をいじる。
そのアドレス帳に掲載されている遥のアドレスをじっと見る。
日ごろの彼女の姿が脳裏に浮かぶ。
明るく、てきぱきと動く。
自分よりもよっぽど委員長向きの遥。
その彼女が自分を好き?
それが例え真実だとしても。
自分はどうなのだ。
自分は遥の事が好きか?
否。
好きでも嫌いでもない。
いたって普通の、友人と思っていた。
それが、間違っているのだろうか。
友人と思っていたと言う考えが、間違っているのだろうか。
まるで大罪でも犯したような不安に駆られる。
初めてなのだ、このようなことは。
女子からの好きだと言う気持ちに気付いたのは。
ため息が漏れた。
漫画などではよくある、天使と悪魔の対決。
まさにそれが頭の中で繰り広げられていた。
相手の気持ちに答えてしまえよ。
だけど自分がそうでもないと気づいた時の彼女の反応を考えたら。
ならばきちんと断ってしまいなさい。
相手を傷つけてしまわないだろうか。
結局どっちなんだよ、お前は。
分からない。
分からないから悩んでいるのだ。
Yesか、Noか。
たかが2択、されど2択。
怖いのだ、相手を泣かすのが。
再びの、ため息。
***
さくら寮に戻ったのは午後2時の事。
かなり長い間外をぶらぶらしていたものだと、若干後悔。
寮に帰ると出迎えたのはやはり風華だった。
「お帰りー! ご飯にする? おやつにする? それとも遊ぶぅ?」
「ごめん、そういう気分じゃないから」
「おー……」
一蹴。
その場に立ち尽くす風華をよそに、帰るなり部屋にこもる。
これでは、何も変わらないと言うのに。
その頃の一階では、帰ってくるなり早々に上に上がってしまった真について軽い話し合いが行われていた。
「ただいまくらい言えないのかしらー。全く」
「姉さん、そんなに怒らなくても」
「どーも、この間から変なのよ。上の空って言うか、心ここに非ずって言うか」
「し、しんちゃんだって悩む時くらいありますぅ!」
風華は真を擁護するようだ。
しかし悩みがあるのなら、一言くらいってくれても良い。
それが涼子の意見だった。
普段はちゃらんぽらんとしているが、先輩としてみていて今の真の状態はあまり芳しくはない。
きゃあきゃあと意見を出し合う。
その中でひなたが立ち上がる。
「ひなちゃん?」
ひなたは静かに二階に上がり、真の部屋の前。
「塚原さん?」
呼びかけてみるが返事は無い。
もう一度呼びかけると、中から「何ですか?」と言う返事。
一言断って中に入る。
部屋の電気はついてない。
まだ昼の2時なので必要ないといえば無いのだが、雰囲気的に薄暗く感じてしまう。
「あの、何か悩んでいるんですか?」
「……」
「私達も涼子先輩たちも相談に乗りますから……下に降りてきませんか?」
「大丈夫ですよ。自分で解決しますから」
「でも、何だか辛そうで」
自分で解決すると言ってみせるが。
具体的な解決案などあるはずが無い。
強がってみせる。
見てみろ。
ひなたも困った顔をしている。
関係の無い人を困らせてどうするのだ。
「その、お節介かもしれませんが」
ひなたが真に近づく。
「悩んでいる時は、一人で抱え込まないで私たちに相談してください。そのために、こうして心配してるんですから」
「でも、そんな迷惑を」
「迷惑じゃないですよ。私は管理人、寮生のメンタルケアをするのも私の仕事ですし、他の人も嫌なんですよ。塚原さんが悩むのをみるのは」
どこまでも真っ直ぐ。
そこまでもお人よし。
忘れかけていた。
それがさくら寮に住む人々なのだ。
寮生の一人が迷っていたら全力でその迷いを取り除く。
そして笑顔で暮らせるように。
「もし、話すのが嫌でしたら話さなくても良いです。ただ覚えておいてください。皆さん、塚原さんの味方ですから」
「はぁ……」
「最終的に私たちに出来るのはアドバイスまでです。最後に決めるのは、塚原さん。貴方自身ですよ」
「俺、自身……」
「そうです。私たちはそれに対するアドバイスだけ」
ひなたが立ち上がる。
「下、行きますか?」
「……もうちょっと、考えさせてください」
そういった真の顔は、くよくよと悩んでいる顔ではなく。
いつもの、真の顔だった。
(第六十四話 完)
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