第六十二話  動き始めるその気持ち

 その日、いつもどおり普通の日のはずだった。

 いつもどおり授業に出て。

 いつもどおり部活をして。

 いつもどおり帰る。

 そんな日だった。

 はずなのに。

***

 朝からその日は天気は曇り。

 なんだか憂鬱な気分にしてくれる。

 真はいつもどおり、ほぼ定時に登校する。

 8時15分。

 その時間に彼はいつも登校する。

「うぃすー、真。朝から疲れた顔してんな」

「あ、ああ……」

 彼方から声をかけられても放心状態。

 椅子に座るなり机に突っ伏した。

 朝から風華にきゃあきゃあと騒がれ。

 涼子と和日の冗談の的にされ。

 猫のレンには懐かれて。

 ここ最近、少しずつ疲れがたまってきているようにも思えるのだ。

 元々お祭り騒ぎが好きそうな人しかいないのだ、あの寮には。

 今更ながら、真には合わないのかもしれない。

 その寮の空気は。

 でも。

 一人だけ、真にとって気になる人がいた。

 ひなた。

 彼女だった。

 常に笑顔を絶やさない、常に周囲に気を配っているさくら寮の管理人。

「ま、オロナミンでも飲んでるんだな」

「ハツラツか。そこまでして元気になりたいとは思わねぇぞ」

「冗談だよ。真に受けるな」

 オロナミンくらいおごってくれても良いのに。

 ちょっとだけ思ったのは内緒だ。

 そうやって、その日は普通に終わると思っていた。

 少なくとも彼は。

 ある一人の人間にとって今日という日が、一種のターニングポイントになろうとは。

 まだこの時、誰も予想だにしていなかった。

***

 季節の変わり目の時は、体調を崩しやすい時期でもある。

 今まで暑かったのが急に涼しくなり、体調を崩す生徒が多数発生した。

 真のクラスでも体育が終わった後に、体調を崩して保健室へ直行と言う生徒がいた。

 また、この時期になると一年生でも部活の主力として扱われる。

 それこそ部活で疲れているのに加えて、気候の変化。
 
 最悪のコンボである。

 昼休み。

 真はいつもどおり彼方と遥と七海と瑞希。

 この4人と一緒に食堂に来た。

「午後の授業さえ乗り切れば土日かー。辛いよなぁ、午後からの授業」

「確かになぁ……」

「特にこれと言ってやることだって無いし、あーあー」

「それではまた私の家にでも遊びに来ますか、彼方様」

 突然の誘いだが、生憎土日は部活で忙しいのだ。

 七海には悪いが断らざるを得ない。

 それを聞いてやはりと言うか、落ち込んだ七海。

 端から見てると微笑ましいほど、二人は仲が良くなっていた。

「塚原くんは何か予定が?」

「んー……いや、俺も部活かなぁ……。あとは寮でダラダラしたいし」

 遥に言われてついそう言うが、本当に何もする事が無いのだ。

 亜貴みたいに何か趣味でもあれば良いが、特に無いし。

 午前は部活で潰れる。

 午後はダラダラと。

 そのことを聞いて一瞬遥は真を買い物に誘おうとしたのだが。

 口からその言葉は出てこなかった。

 おそらく彼女自身、突然そんなことを言ったら変だと思われると、勝手に考えているのだ。

 漫画の読みすぎだとか。

 実際にそんなことあるわけが無いとか。

 言われそうだが、言う方にとって見てはもの凄く憂響がいるのである。

 それに、それ以上に。

 遥は真との今の関係を整理しても、買い物に誘うほど仲良くなっていないのではないかとどんどんと泥濘にはまっていく。

 一人で勝手に考えて、一人で勝手に悩んでしまった。

「多分ふーねぇがうるさいんだろうなぁ……。絶対出かけられないと思う」

「た、大変だね」

「姉ってそんなにアレなのか?」

 ふと、瑞希が口を開いた。

 そして次の瞬間、普段の瑞希からは考えられない言葉が。

「姉って良いじゃん。あこがれるじゃん」

「え……? 佐野、お前そういう趣味だったの?」

「何で? だって年上の女性に憧れないか?」

 それは姉を持っていない人間だから言えるのだ。

 本当はもの凄く面倒だと真は言う。

 心配なのは分かるが、どこへ行くにも一々報告をしなければならない。

 さらに自分が暇ならば構ってと言って来る。

 振り切るのも段々と苦痛になる。

 別に嫌いというわけではないのだが。

「それは我侭だなぁ」

「お前も一回姉と言う人間に翻弄されてしまえ」

 それこそ瑞希にとっては天国のような話なのかもしれないが。

 そういえば七海も姉と言う事に気づいたのが遥。

 七海に話をふる。

「あら、私は別に過保護な姉じゃありませんわよ」

「妹が心配で家出したくせに」

「あ、あれはその……ほんの出来心ですわ、彼方様!」

 珍しく慌てる七海。

 結論としては、姉に戯れるのは幻想。

 実際はもの凄く大変なのだと言う事に落ち着いた。

 それを聞いてもなお、瑞希は考えを変えなかった。

 ある意味男らしいのだが、何かが間違っている気がしてならない。

***

「こほ、こほ」

 午後の授業が始まる直前、遥は喉に妙な感覚を覚えた。

 周りの女子がそんな遥を気遣う。

「うん、大丈夫だから」

 そう言うが、女子と言うものは世話焼き。

 きゃあきゃあと騒いでそれぞれのカバンを漁る。

 その中から出てきたレモン味ののど飴。

 それを遥に渡す。

 喉が痛い時はのど飴が良い。

「この授業終わったら保健室行って来ると良いよ」

「でも次って移動だし……」

「大丈夫よ。ねー」

 今は喉の痛みをとるほうが先である。

 それで授業に集中できなくて先生から注意されるほうがもっと嫌だろう。

 今からではもう授業が始まるので、行くことは難しい。

 彼女の性格上の事を考えると難しいのだが、この授業は眠っていた方が良いのではという提案もでる。

 とはいえ、やはり彼女はそれはしないと言った。

 授業はしっかりと受けないと。

「辛くなったら言ってね」

「私達が保健室に連れてくから」

「ありがと、釘宮さんたち……」

「はい、席付けー」

 先生が教室に入る。

 真の号令で授業が始まる。

 喉だけではなかった。

 遥の意識は朦朧とし始めていた。

 シャーペンで、黒板の文字をノートに書く手も危うい。

 ああは言ったものの、少し眠ると楽になるかもしれない。

 遥は机に突っ伏して目を閉じた。

 喉が痛い。

 咳が出る。

 もしかして自分は風邪でも引いたのだろうか。

 そんなことを考えていると。

 意識が落ちた。

 次に起きた時、授業は終わっていた。

 途中で何度も先生が声をかけたようなのだが全く起きなかった。

 夕菜たちが先生に説明をして、そっとしておいたのだ。

 先生も保健室に行ったほうが良いと言っていた。

 だが、本人が大丈夫といっていた以上、無理に連れて行くのは気が引けるのだ。

 少しは気が楽になった遥だが、未だに喉の痛みなどは殆ど取れていない。

「遥、もう保健室行って来たら? どうせ次の授業で終わりなんだし」

「でも……こほ」

「無理すると体に毒だわよ」

 確かにこれ以上無理をしても良い事など無さそうだ。

 皆が移動するのと一緒に、遥も保健室へ向かう。

 移動教室先と、保健室は殆ど一緒のルート。

 階段を降り、一階へ。

 その時だ。

 とうとう限界のようで。

 目の前が歪み、遥の体が前に倒れた。

 彼女の前を歩いていた真を巻き込んで。

「うがぁぁぁっ! いたぁ!!」

 うつ伏せになる真のうえに倒れている遥。

 苦しそうに息をする彼女の吐息が真の肌に吹きかけられる。

 あまりの事態にあたふたする真。

 まさか遥が倒れてくるとは思っていなかった。

 遥の額に手を当てる。

 妙に熱っぽい。

「いいんちょ、保健室につれてかなきゃ!」

 朦朧とする意識の中で、遥はうっすらと目を開けた。

 真が騒いでいる。

 何を騒いでいるかは聞き取れない。

 だがこれだけは理解した。

 真が自分を背負った。

 そのまま走り出したのだけは理解できる。

 真の背中に顔を埋める遥。

 ぎゅっ、と真の制服を掴む。

***

 保健室のベッドに横になる遥。

 とりあえず授業の終わりまで休ませる事になった。

 熱も出ているので、季節の変わり目の風邪と言う事か。

 日ごろの疲れがここに来て爆発したのだろうと、保険の先生は言う。

 横になっているベッドで布団にもぐりながら彼女は話を聞いていた。

 そしてその脳裏では先ほどの事を考えていた。

 真に背負われ、運ばれ。

 その時彼女の気持ちは高揚していた。

 今も考えただけで、胸が詰まる。

「んっ……」

 考えただけで悶えてしまいそうになる。

 そうか。

 彼女は今、理解した。

 今までは単なる友達だったり、好感を持っていただけだった。

 でも、ようやく彼女は理解した。

 自分は。

 真の事がすきなのだ。

 友達とかそういうものではない。

「好き……なの」



(第六十二話   完)


   トップへ