第六十話  七海、帰る

 9月1日、火曜日。

 今年も残すところ4ヶ月となった。

 今日から衣替えで、若干暑さこそ残るものの、生徒達は皆長袖を着用している。

 この日、彼方は朝から浮かれていた。

 月曜日の夜の事だった。

 部屋でダラダラとしていた彼方。

 その部屋に鳴り響く、携帯の軽やかなメロディ。

 電話だった。

「はひー、もひもひ」

 どんだけだらけているのか。

 しかし相手の声を聞いて彼方は覚醒する。

『お久しぶりですわー、彼方様ー』

「七海ー! どうしたどうした?」

『実はお話がありますの』

 真剣な七海の声に、彼方もしっかり上半身を起こして聞く事に。

 それが明日の彼方の妙なテンションの原因となるのだ。

 七海が今日、蒼橋学園に戻ってくると言う。

 どうやらあの堅物の親父と和解したらしく。

 和解して、戻ってくるのなら良い。

 以前みたいに家出同然で来られるとまたいざこざになりかねない。

「よう、彼方」

 真と出くわした。

 へらへらとする彼方に真は何か恐怖に似た気持ちを抱いた。

「何だよ、ニヤニヤして……気持ちの悪い」

「これがニヤニヤせずにいられるかよ! 極秘情報だぜぇ?」

 肩に手を伸ばされ、耳打ちされる。
 
 その「極秘情報」とやらに真も驚いた。

 同時に気分が滅入りそうになる。

 しかしながら懐かしい気分にもなる。

 二人で話しながら教室に向かう。

 その話の中で真は彼方が本当に変わったと感じていた。

 思えば初めて七海と会った時、心底自分と彼方は嫌がっていたと思う。

 が、七海と接して、彼方は変わった。

 彼女の何を見たのだろう。

「ま、お前も幸せならそれで良いかもな」

「おうよ」

 教室について、席に座る。

 七海が戻ってくるという事知っているのは、今のところ彼方と真のみ。

 あとはおそらく真由も知っている。

 他の生徒達はまだ知らない。

 七海が戻ってくるという事を聞かされたときの反応が楽しみである。

「はいはい、席につくー」

 真由が教室に現れる。

「えー、今日は、お知らせがあります。一学期に転校した鈴原さんですが、今日、このクラスに戻ってくるそうです」

 ざわめくクラスメイト達。

 無理も無いだろう。

 一学期の終わりに転校して二学期の始まりに戻ってきたのだ。

 これで驚かない方がおかしい。

「今日の昼休みに学校につくという連絡を先ほど受けました。クラス委員!」

「え、はい?」

「到着したら迎えるよーに」

「いや、彼方の方が適任かと」

「あー、じゃあ誰でもいいわよ」

 適当すぎる。

***

 昼休み。

 授業が終わると早速彼方が行動に移る。

 真を無理やりに連れ出して、正面玄関に。

 今か今かとうずうずし始める彼方を横目に真は日陰で休んでいる。

 そもそも真は七海とそれほど仲が良いわけではない。

 真、彼方、遥、瑞希のグループに七海が入ったが、彼自身そんなに仲が良かったという記憶が無い。

 それよりもお腹がすいた。

 その時、道路の向こうから車がやってきた。

 黒のリムジン。

 間違いない、七海が乗っていた車。

 正面玄関で泊まるリムジン。

 その扉が開く。

 綺麗な金髪。

 勝気そうなツンと吊りあがった瞳。

 パッと見は可愛いのに。

「彼方様ー!」

 ぎゅうと抱きつく七海。

 いきなり見せ付ける。

「それは良いからさ、早く教室行かないか? 飯だって食ってないし」

「お、そうだな。行こうぜ、七海」

「そうですわね」

 付き合いきれないが、クラス委員として最後まで付き合わなければならない。

 まずは職員室。

 真由に挨拶をする。

「鈴原さん、お久しぶり」

「先生こそお変わりなく」

 それこそ2ヶ月かそこらで変わったら驚きである。

 手続きも終えているので、今日から普通に授業に出る事が出来る。

 さて、次に教室に向かう。

 もう昼食どころではない。

 教室に入ると、早速女子が騒ぎ出した。

「鈴原さーん、久しぶりー!」

「元気そうねー」

「ちょっと背伸びたんじゃないの?」

 などとキャアキャアと騒ぐ。

 女子の喧騒は男子にとってはよく分からないものである。

 しかし今回の場合は分かる気がする。

 久しぶりに友達と会ったらあの騒ぎになるのも無理も無い。

「あとはやっとれ。俺、飯に行くから」

「じゃあ俺も行くわ」

「塚原くん、私も」

「彼方様が行くと言うなら私もついてきますわ」

「瑞希はどうするよー」

「俺はいいよ、弁当あるし」

 と、言うわけで真、遥、彼方、七海の4人で食堂に向かう。

 時間が遅かったという事もあり、既に食堂の中に座れる席は無い。

 買って帰るしかない。

「おーひ、ふゅかはらくん」

「涼子先輩……食べるか歩くか喋るかどれかにしてくださいよ」

 ふと、涼子が面子に目を通す。

 真に。

 彼方に。

 遥に。

 そこで止まる。

「お姉さまー! 私帰ってきましたわー!」

「う、うわぁ! ちょっと!」

 涼子が慌てふためく。

 ちょっとだけ面白かった。

 七海が涼子に懐くのは、おそらく自分に似ているからだ。
 
 どこか人をいじくり倒して喜ぶ部分など。

 二人は似ている。

 だが、こうして懐かれるのに涼子は慣れていないのか。

「この子って転校したんじゃなかったの!?」

「今日戻ってきたらしいですよ」

「あ、ああ……そうなの……」

 呆然とする涼子に、七海は懐いている。

 なんだか懐かしい光景に思えてきた。

 その後、涼子が座っていた席に座り、真は昼食を食べた。

 その時でも彼方と七海は常に話をしていた。

 真はそれを見てもなんとも思っていなかったのだが。

 遥だけ違っていた。

 何かを意識しているようで。

「……どうしたの?」

「あ、いや、ううん! 何でもないよ!」

 声が上ずってしまう。

 何を変に意識しているのだろう。

「わ、私もう行くね!」

 遥が慌しく立ち上がる。

 それを普通に見送る真。

***

 放課後。

 生徒は部活に出たり家に帰ったりと、学校生活の中で比較的自由に行動する事が出来る時間。

 彼方もこの日は部活で。

 試合のレギュラーには入れるかどうか、日々の練習によって決まる。

 だから休むわけにはいかない。

「木藤ー、遅れてるぞ! もっと周りを見ろー!」

「はいッ!」

 ドリブルでディフェンダーを抜いていく。

 ゴール前でキーパーが両手を広げている。

 キーパーの右上を狙うように力強くボールを蹴る。

 そのボールは真っ直ぐにゴールに向かう。

 しかし、寸でのところでキーパーの手によって弾かれた。

 悔しそうに地団駄する彼方。

「木藤、お前はゴールをじっと見すぎなんだよ。右を見て、左に放つくらいしないとな」

「……」

 彼方の弱点はそれだった。

 彼方はフェイントが非常に下手だった。

 例えば目の前にディフェンダーがいるとする。

 普通なら左右に揺さぶりをかけて、フェイントで抜くところだが。

 意外な事に彼方は真正面からの突破しかしないのだ。

 彼方の性格上フェイントを駆使すると思われがちだが。

 その後も、何度かフェイントに挑戦してみたがやはりダメだった。

 部活中、何度も何度も挑戦するが、その度に転んだり。

 顔中泥まみれになっても、ユニフォームが汚れても。

 彼方はフェイントの練習を続けていた。

「せいれーつ!」

 整列の号令がかかる。

 横一列に並ぶサッカー部。

 顧問からの話が始まる。

 県大会が九月の終わりにあるので、半ばにレギュラーを決める大規模なテストを行うという。

 意気込む部員達。

 もちろん彼方も例外ではない。

 全員が全員、アピールする気は満々だった。

「技術よりも努力しているところをみせれば、もしかしたら選ばれるかもな。以上、今日の部活は終わり!」

「ありがとうございました!」

 終わると部員達はすぐにロッカーに向かう。

 一年生はボールの方付けや、グラウンドの馴らしなどを行なわなければならない。

 彼方はボールを集めていた。

 何が足りないのか。

 技術的なものなのか。

 それとも度重なる失敗に、臆しているのか。

 分からなかった。

「彼方様ー」

「……七海」

 ずっと部活が終わるのを待っていたのだろうか。

 そこには缶ジュースを持った七海が立っていた。

 泥だらけのユニフォームでその場に座り。

 七海が中腰になる。

「お疲れ様ですわ」

「あ、ああ」

「? どうなされたんですの、あまりお元気が無いようですが……」

 彼方が一通りのことを話した。

 果たして2週間でフェイントを身につけることが出来るか。

 時が経つにつれてそれは「プレッシャー」となって彼方に圧し掛かるだろう。

「大丈夫かなぁ、俺」

 何時に無く弱気の彼方。

 七海はきょとんとしていた。

「大丈夫ですわよ」

「あん?」

「だって、彼方様は凄い方ですもの。スーパーの件だって、皆が見ているとき、助けに来てくれましたし」

 そう言う事もあった。

 七海が不良に絡んでいるのを見て彼方が止めに入って。

 そこからだった。

 こんな関係が始まったのは。

「今度だって、きっと大丈夫ですわよ」

「ななみぃ……」

 嬉しくなったのか、何なのか。

 涙目になる彼方。

 その彼方に向かって、七海はこう口を開いた。

「彼方様、私は……約束を守れましたか?」

 約束。

 彼方は忘れていない。

 良い女になって戻って来い。

 果たして、自分は良い女になれたのか。

 今、その答えを聞く時。

「どうですの?」

「……ああ、十分良い女だよ、七海は」

 その瞬間、くしゃっと七海の顔がほころんだ。

 言っておいてなんだが、彼方も相当恥ずかしいようだ。

 そうだ。

 今度は自分の番だ。

 七海が約束を守ったように。

 今度は自分の番。

 必ずテストまでにフェイントを身に着けて、努力しているところを見せなければ。

 彼方が立ち上がる。

「帰ろうぜ、七海!」

「……はい!」

 この日の夕日は、何時に無く眩しかったのを彼方は忘れない。


(第六十話 完)


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