第五十七話 夏の終わり
8月も終盤に差し掛かった頃。
学校が始まるのは8月24日、月曜日。
現在、8月21日の金曜日。
真は焦っていた。
この時期に夏休みの学生が焦ることと言えば一つしかない。
宿題の、未完成と言う問題。
残っているのは日本史のプリントに、数学の問題集。
それに古典の訳と読書感想文。
面倒なものが残ってしまった。
「……」
故に真は朝からテンションが低かった。
頭の中で必死になって計画を練る。
今日、明日、明後日の午前中は部活で潰れる。
やるとしたら午後から夜にかけてだが。
果たしてそこまで集中力が持つかどうか。
いや、持たないだろう。
人の集中力など高が知れている。
大体20分から30分と言われているため、夜まで集中力が続くことはまず無いのだ。
それが例えゲームなど楽しいことでも、だ。
「どうしたの?」
うつうつしている真にむかって風華が声をかける。
さすが姉。
こういうときは誰よりも早くに気付いた。
「宿題が終わらない……。何回考えても宿題が終わらない!」
「考えても? えとー、何を?」
「予定だよ、予定。午前中は部活で、午後から夜にかけて宿題をしようと思うんだけど……」
ダラダラする自分の姿が目に浮かぶ。
そう言った時に風華は噴き出した。
どうやら彼女もその姿を思い浮かべたようだ。
「笑うな……」
「ごめんねー。でも今日、終わらせるしかないね」
「うん?」
「今日終わらせるしかないね」
なかなか無茶なことを言う風華。
その顔は微笑んでいる。
何を言いたいのだろう。
じっと風華の顔を見て考える真。
今日中に終わらせろと言うことか。
いや、それが出来るくらいならばこんなに悩んだりはしないのに。
一体何を考えているのか。
考えること数分。
「あ。もしかして手伝ってくれるとか?」
「えー、どうしようかなー」
「何だ違うのか」
「嘘よー。手伝うよー」
何故か涙ぐむ。
手伝いたいなら手伝いたいと言えばいいのに。
「でも、何で? ふーねぇならこういうの自分でやれーって言いそうなのに」
「だってぇ……ねぇ? しんちゃんが困ってるの見たくないもん」
「ふーねぇ……」
じんわり来た。
自分は何と弟思いの良い姉を持ったのだろう。
嬉しくなった。
「その代わり何かケーキ買ってよ」
前言撤回をせざるを得ない。
***
「それじゃあ部活行って来るよ」
「はーい。ケーキ忘れないでね」
「ちょ、弓道部なのに!?」
ひなたはもう外にいる。
あまり待たせたらかわいそうだ。
夏とは言え朝は涼しいのだ。
風邪でも引いたらそれこそ。
「それにしてもいい姉弟よねぇ」
朝からの一件をこっそりひっそり物陰から覗いていた涼子が言う。
隣には沙耶と和日。
宿題を手伝うなんて自分から言い出す。
そしてきちんと感謝する。
いい姉弟ではないか」
「何よいきなり。……まさか姉さん、風華さんを目指してるの?」
「アンタねぇ……考えてみなさいよ。私が風華さんのようになったらどうよ?」
体は涼子。
頭は風華。
そうぞうしてみたが、これは酷い。
一気に気分が悪くなる。
「ま、まぁ性格なんて人それぞれだし……」
「でしょう? 私が風華さんのようになろうったって無理なんだから」
「いや、ありかもしれない」
「え?」
和日の一言に凍りついた。
一体彼女は何を考えてそういったのか。
いや、何も考えていないのかもしれない。
「でも、どっちにしろ涼子先輩は今のままが素敵ですって!」
「あらそう? 嬉しいわね。じゃあ後で何かあげるわね、宿題とか」
「やったー! ……え?」
何という罠。
喜んだのも束の間とはまさにこのことだろう。
そのほんの数十秒のやり取りの間、沙耶は考えていた。
「そういえば、かっちゃんはどうしてそんなに姉さんに懐いてるの?」
「え?」
「そう言えば……私、かっちゃんに何かしたっけー?」
「あ、あー……先輩覚えてないんだ。うん、や、別に」
何故かしどろもどろと口ごもる。
本人が別にと言ってしまった以上、これ以上聞くのはヤボと言うものか。
涼子が覚えていなくて、和日が覚えている。
奇妙なことである。
***
「えー、今日明日の練習で一年を射場へ上げようと思います。そのため、今日明日の基礎練習は今までよりも特に身を引き締めて行うように」
射場で正座をして部長の話を聞く真。
いつもはぐーたらとしている部長でも、こういうときだけはしっかりとしている。
ついに真達も射場へあがることになる。
はたして、そのまま真達が活躍するのは何時になるのか。
来月?
来年?
それとも活躍しないで3年が終わるのか。
「それでは、練習を始めます! 姿勢を正して、礼!」
「お願いします!」
練習が始まった。
すぐに着替えて外に出る。
「つっちー、つっちー」
「……」
「おい、つっちー!」
「あ、ああ、俺のことか? つっちー……土原じゃないか!?」
仲間からの変なあだ名に困惑する。
確かにそのあだ名だと土原になってしまう。
「つっちーさ、次の部長誰だと思う?」
「さあ? 別に誰だって良いじゃない」
「でた。やーねぇ、こういうクールぶってる子」
「ほんと、やーねぇ」
「やーねぇ」
「おい」
何だか妙に自分だけが悪い空気になっている。
別に変なことを言ったつもりなど無いのに。
「こら」
「ひなた先輩?」
「あまり騒いでばかりじゃだめですよ? もう練習は始まってるんですから」
「すいません……」
そそくさと外に出る。
今日、明日でこの基礎練習ともお別れと思うと、感慨深いものがある。
外は晴れ渡っており、絶好の練習日和。
先輩の指導の下、真達は練習をしていく。
射場から放たれる矢の、空気を裂く音が不定期に耳に響く。
的に命中した時の乾いた音が響く。
「あー、やっぱりね」
真の射形を見ていた藤原が言う。
真が練習用の矢を持ち、引分けに入り。
離れの所で止めた。
「な、何スか……」
「お前、口割りより下だわ。これじゃあ矢が下にしか行かないぞ」
基本的に矢は口の中心で止め、放つと綺麗に飛ぶ。
それが上過ぎても、下過ぎてもダメなのだ。
藤原は先ほど「矢が下にしか行かない」と告げたが。
他にも、口割りが上だと妙に下へと意識してしまい、矢が下へ。
逆に矢が口割りよりも下だと、下手に上へと意識してしまい矢は上にしか行かないという事もある。
一箇所が崩れれば、そこを修正しようと意識して他も崩れる。
難しいのだ、弓道と言うものは。
「良かったな、射場に上がってなくて。弓を使い始めてからだと苦労するぞ」
「そうなんですか?」
「おう。俺も苦労したもの……」
人知れず苦労する。
それも弓道。
「ま、お前達はまだまだこれからだから自分の射形を見つければいいさ」
「はいはーい。射系って皆同じじゃないんですかー?」
「同じじゃねぇよ。外から見れば同じに見えるけど、よく見てれば分かるさ」
そういうと藤原は射場に戻っていった。
そろそろ練習をしないと、ならないとか。
合わせ、その前に真はトイレにいくことにした。
合わせが一度始まってしまうと、抜け出すことは出来なくなる。
尿意が無くても、トイレには行っておくと良い。
いつもの道を通っていつものトイレに向かう。
そしていつもどおり彼方と鉢合わせした。
「ぃよう、真! 久しぶりだなー、おい!」
「ごっ、げふぅ……! 何故殴る!?」
「いやぁ、今日は気分が良くてなぁ!」
「げふぅ……! 何故蹴る!?」
「はっはっはっ!」
妙なテンションの彼方に理由を聞かざるを得ない。
「実はな、明日明後日泊まる事になったんだ」
「泊まる? どこに」
「七海の家だよ! 久々に会いたいってさー! 参ったねぇ、おい!」
「知らんがな」
さらりと流そうと思ったが、七海に久しぶりに会うと言う彼方の気持ちも分からないでもない。
何だかんだ言って、彼方も七海のことが好きなのだ。
今ではこうして互いにメールなり電話なりで連絡を取り合っていると言う。
「楽しみだなぁ! どんな豪華な食事なんだろうなぁ!」
ああ、やっぱり彼方も男だ。
飯のことしか頭に無いらしい。
「ま、話はおいおい、期待していて待っていてくれ!」
「期待しないで待ってるわ」
彼方に適当に手を振って、トイレに向かう。
話をしただけで妙に時間を食ってしまった。
次にであった時に小突いておこう。
***
「これで今日の練習は終わります。姿勢を正して、礼!」
「ありがとうございました!」
練習が終わり、掃除に取り掛かる。
真にはもう一秒とも無駄に時間を裂いている余裕などない。
この後寮に戻って宿題をしなければならないのだ。
急いで掃除をする。
「よし、終わった!」
「つっちー、ゴミ片付けといて」
「貴様と言うやつは!! 俺には時間が無いの! 放せよ、バカァ!」
「おちつけ。誰もお前を掴んでねぇよ!」
ゴミの片付けは他の人間に任せて、射場を後にする。
「あら……? えっと、塚原さんは?」
「あ、今飛び出すように帰って行きましたよ」
「そうですか……」
***
寮に帰るなり真はカバンを置いて、机に向かう。
が、その前に。
「しーんーちゃーん。ご飯よー」
「あ、うん」
腹が減ったは云々。
まずはご飯にしよう。
そしてその後宿題をしよう。
そして時々風華に手伝ってもらおう。
これで完璧だ。
「今日のご飯は……チャーハンか。よし、いただきます! ……ごちそうさま!」
「おぉ、しんちゃんがやる気だ。お姉ちゃんも手伝っちゃう!」
「よし、頑張ろうふーねぇ!」
「おー!」
二人して真の部屋にもぐる。
風華は意外と頭が良い。
それに根気さえ加わればいいのだが。
一人よりも二人。
二人よりも三人とはよく言う。
実際風華の手伝いもあって、宿題は順調に進んでいた。
予定よりも多めの量をこなして。
「あとは何が残ってるの?」
「読書感想文……うぁー、一番厄介なのが残ってるー」
「それは仕方ないよぉ。自分でやらないとダメだよ?」
「そりゃ分かってるさ……」
一応本は少しずつ読んでいる。
ただ、少しずつなのでほとんど内容は覚えていたり覚えていなかったり。
「それは明日やるよ、うん、明日」
「無事に終わるといいね」
「ん」
風華が立ち上がり、部屋を出る。
何とか今日、そして奇跡的に明日の分の宿題まで片付いた。
残すは読書感想文のみ。
月曜日には何とか間に合いそうだ。
(第五十七話 完)
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