第五十六話 体験入学
8月8日。
この時期になると大学、高校とほぼ同時期に解されるイベントがある。
体験入学である。
1日、自分の入りたい学校へ向かい、校舎を見たり授業についての説明を受けたり。
実際に授業を受けることの出来る学校もあるくらい。
蒼橋学園も、8月7日の今日は体験入学の日。
各地から色々な中学の生徒がやってくる。
このことに気付いたのは先日の夕方だった。
ひなたが実家からさくら寮に戻ってきた時に目にした連絡ノート。
それに「体験入学について」のプリントが挟まっていたのだ。
その後、全員が寮に集まったのは夜の9時のこと。
そこから話し合おうと思ったのだが。
「別に良いんじゃない? いつもどおりで」
と。
体験入学だからといって別に取り繕うことも無いと言う涼子の意見。
ありのままを見せればそれで良いのだ。
「まあ変に取り繕ったりしても、ぼろが出るだけでしょ?」
和日も涼子の意見に賛成のようだ。
真もおおむね賛成のようだったが。
何だか元気が無かったのはひなたの気になるところで。
結局、何もしないで今日を迎えることになった。
多くの中学生が体育館に集まり、話を聞いている。
体育館を使用しているため、バスケ部やバレー部は今日は走りこみを中心に行っている。
「えー、それではですね。それぞれ自由に校舎内を見学して下さい。午後の1時から実際の授業に近いものを開きますので、5分前までには先ほど配布したプリントに明記されている教室に入ってください」
その後解散指示が出て、各々が見たい場所へと散っていった。
その中の一人、茶色の髪の少女は一人で行動していた。
日比野かんな。
今年中学卒業予定の少女である。
「かんなー」
「おぉう、ともやん。どうしたっすかー」
「一緒に見学しようと思って」
友達に声をかけられ、断る理由など無い。
かんなとともやんが並んで歩く。
まずはやはり校舎の中から見学するしかないだろう。
多くの教室の中を覗き、視聴覚室や音楽室を覗いてみる。
音楽室では吹奏楽部が練習をしていた。
自分の演奏に集中している様に、かんなはただただため息が出ていた。
「はぁ……やっぱり高校の部活ってスゴいっすねぇ……」
「インターハイになるとえらく強力な学校があるくらいだし、これくらいは普通じゃないのかな?」
しかしこの学校がその強豪とは限らない。
練習しても実は弱いのかもしれない。
それでも練習したことに意味があると言う人間もいる。
結果が全てと言う人間もいる。
ようは人それぞれなのだが、やはり大きな大会に出たからには勝ち進みたいところで。
「ねぇ、次行こうよ。そんなにじーっと見てると向こうに悪いよ」
「そうっすか?」
音楽室から離れ、次はかんなが少し楽しみにしていた図書館に向かうことになった。
図書館には本がたくさんある。
それだけで彼女の心は躍っていた。
昔から絵本などを読むのが好きだった。
その言動やら雰囲気やらで、どうにも体育会系と勘違いされそうであるが。
「ねぇ、かんな。小説の方はどうなの? 少しは進んだ?」
「いや、それが全くっすー。全然のへーっす」
頬を膨らませる。
本当に全く進んでいないようだ。
ちなみに彼女が今書いているのはファンタジー小説。
実際ではありえないことばかりなので、てこずっているのだろう。
この図書館に払いと述べると呼ばれる若者向けの小説も置いてある。
それらを読めば何か閃くかもしれないと言うことなのだが。
「うあー、凄いすよー。いろんな本があるっすー」
「ちょっと、図書室では静かにしないと……」
周りにいた生徒から白い目で見られていたのは言うまでもない。
口を閉じて、小説を漁って読んでいく。
かんなの本好きは本当で、いつもはやかましいくらいだが本を読んでいるときだけは静かである。
すると何か思い浮かんだのか、おもむろにメモ用紙を取り出して何かを書いていく。
かんなのネタ帳である。
どこであろうとネタが浮かんだらそれをまずは殴り書きでもいいので、書き綴る。
それを組み上げて、小説を書いていくのだ。
「ぷあー、よく読んだっすー」
「集中してたもんね。そろそろ次行こうか」
もう昼も近い。
今日は夏休みだが体験入学ということで食堂がやっているはず。
そこでご飯を食べることになったのだ。
「それにしてもさすが高校、広いっすねー」
「そうだね。覚えるまでが大変だよ……」
「大丈夫、ともやんは記憶力外いっすから」
「そんなことないよ」
照れるように笑ってみせる。
そんなこんなで話しながら歩いていた。
食堂に向かうためには一度外に出なければならない。
図書館が食堂から離れているため、律儀に校舎内を歩くよりも外に出て最短距離で歩いた方が早い。
外は夏の日差しが眩しく、帽子がないと目を細めてしまう。
それがやがてかんなに悲劇をもたらす。
「うー、外は眩しいっすー……」
そう言った時だった。
視界が揺れた。
頭から床にぶつかった。
「ちょ、かんなちゃん!?」
「うあー! 痛いっすー! 血が出てるっすー!」
***
バスケ部は先述した通り、走り込みをしていた。
亜貴も今日は朝から走ってばかりでボールに触っていない。
もちろん女子バスケ部も例外ではなく、虎美も同じである。
「今から昼休みなー。1時になったら戻って来いよー」
部長の指示で解散し、それぞれの休みを取る。
現在12:00を周ったところ。
亜貴はどうするか考えていた。
今日食堂は開いていたはずだが、おそらく中学生で溢れているだろう。
一度寮に戻るか?
いや、戻ったところで昼食の用意が今出来ていると言う都合のよいことは早々無い。
それに、戻る気力も無い。
なるべく敷地内で済ませたかった。
「亜貴ー、メシ食いに行こうぜー」
「ああ」
「待ったぁ! オレとの勝負はどうした!」
もはやあの一件以来、見事に休憩中のイベントと化した亜貴と虎美の衝突。
が、さして今の亜貴に虎美を相手にするほどの気力は無い。
朝から連続しての走りこみで体力を消耗していた。
「勝負しろー!」
「ウルサイなぁ……」
嫌気がさしたのでその場を移動する。
段々と小さくなる虎美の声。
まず自販機でジュースを購入する。
疲れたときには糖分を摂取するのが一番である。
ジュースを飲み干し、校舎内に入ろうとしたときである。
「うあー! 痛いっすー! 血が出てるっすー!」
どこからか大きな声が聞こえてきた。
亜貴がその声の聞こえた方へ走ってみる。
そこでは少女二人がおろおろとしていた。
一人は額から血を流し、泣いている。
もう一人はどうして言いのか分からず右往左往して、泣いている。
「ちょ、おい、大丈夫か!? デコから血が出てるじゃないか!」
「うあー、痛いっすー! 死んじゃうー!」
「いや、傷は思ったほど深くはないから死にはしないけど止血しないと……」
今日、保健室が開いているかどうかによる。
その前にガーゼか何かで止血をしないとならない。
「な、何か布持ってないか?」
「あ、ハンカチなら……」
そのハンカチを近くの水道でぬらして、額に当てる。
しかし血によって少しずつ赤く染まっていくハンカチ。
なかなか止まらない。
「保健室に行こう! 話はそれからだ」
血を流している少女を背負い、保健室へ向かう。
とんだ昼休みになってしまったようだ。
***
保健室に着いたが、保険医の姿は無い。
開いているには開いているのだが。
「先生がいない……」
「保健室は開いてるのに……」
中学生の体験入学のために開放したと言うことだろうか。
そもそも食堂も本来なら閉じているはずなのに、今日だけは開いているのだ。
可能性は低くない。
「ど、どうしよう……このままじゃかんなちゃん……死んじゃうーッ!」
どうしてこうも血を流すことイコール死ぬと連想するのだろう。
「うう、痛いっすー……」
「仕方が無い……。戻ろう!」
この場合、少女二人にとって戻るとは元の場所に戻ると言う意味に取れる。
しかし亜貴が戻るのは、さくら寮だった。
走る亜貴。
その背中でかんなは必死にしがみついていた。
何と優しい人なんだろう。
見ず知らずの自分のためにこんなにも必死になってくれるなんて。
かんなは泣きそうだった。
痛さよりも今、自分を背負っている見ず知らずのこの男の優しさに対して。
「かんなちゃん、大丈夫?」
「な、何とか意識はあるっすよー……」
さくら寮まで、走って5分。
ただしかんなにとってこの5分は長く感じていた。
さくら寮につくなり、玄関を荒々しく開けて中に入る。
「風華さん、風華さん!」
「あっきーくん?」
のんびりとしている風華だが、その背中の少女の様子を見て一変する。
一緒に昼食を食べていた涼子も慌しく立ち上がる。
「ちょっと、その子、血流してるじゃない!」
「救急箱で止血を!」
「あわわ、ま、待ってて!」
慌てて救急箱を運んでくる。
涼子がそっとかんなを横にして、傷を見る。
血は止まりつつあり、縫うほどでもない。
「ちょっと、染みるよ?」
風華が綿に消毒薬をしみこませ、傷口に当てる。
「あいたー! っす」
「この子、面白いわね」
「面白がってる場合じゃないでしょう……」
亜貴の静かな突っ込み黙る涼子。
さすがに不謹慎と思ったのだろう。
消毒が終わり、涼子がガーゼを当て、テープで固定する。
「これで大丈夫だと思うけど……」
「あなた、体験入学生よね? これが終わったら病院に行ったほうが良いわよ」
「まぁ、大事に至らなくてよかったよ、本当に……」
「あの、ありがとうっす」
かんなが頭を下げる。
そして亜貴を見る。
「……」
「どうした?」
「えへへ、ありがとうっすよ、先輩」
すっと、立ち上がる。
しかし、まだ本調子じゃないのかボーっとしている。
「そうだ。ご飯食べてく? 二人で暇だったのよ」
「二人って……他は?」
「皆部活だったり、友達と出かけたりよ」
「ゆうれ」
「それは禁句」
横目で見ると、幽霊さんが柱の陰からこちらを見ている。
初めてみる顔なので、警戒しているのか。
それとも出て行って脅かさないように空気を読んでいるのか。
本人もここまで世話になって、これ以上迷惑をかけたくないと思っているのか、なかなか返答しないが。
腹の虫だけは正直なようだ。
***
昼食をさくら寮で食べ、休憩時間は残し少なくなっていた。
亜貴は練習に、かんなは教室に向かうためにさくら寮を出る。
その道で、かんなは亜貴にべったりだった。
「どうだった、うちの寮。ボロいでしょ」
「そんなことないっすよ。何だか暖かい寮だったす」
「そうか、そうか」
「それで、もしで良いんすけど……」
かんなが立ち止まる。
友達と亜貴が足を止める。
亜貴と向き合うかんな。
「もしこの学校に入ったらお世話をよろしくお願いするっすー!」
お世話をお願いするとは少々日本語が変だが。
それが彼女の今の気持ちだった。
そしてそれに対して亜貴も頷く。
まぁかんながもしも来年、蒼橋学園に入学したらの話だが。
それはまた、もう少し後のこと。
(第五十六話 完)
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