第五十四話 進む路
「あーったまにくるわよー!」
町の喫茶店で叫ぶのは、涼子。
8月6日、木曜日。
三日間だけの里帰りの二日目のこと。
朝から涼子はすこぶる機嫌が悪かった。
一緒についてきた沙耶は、ストローでコーヒーをすすりながら様子を伺っている。
「すいませーん、コーラおかわりー!」
「姉さん、飲みすぎなんじゃ……」
「飲まなきゃやってられないわよ! ふもー!」
(元はと言えば……)
***
今朝のこと。
涼子と沙耶が実家に戻り、一日がすぎた。
「おはよー」
「おはよう、母さん」
「おはよー」
そっくりそのまま返ってきた。
まずは目を覚ますために冷たい麦茶を一口。
そこへ父親がやってきた。
眉間にしわを寄せている。
「涼子、ちょっと座りなさい」
「何で?」
「良いから座りなさい」
座布団の上に座る涼子。
なにやら父の雰囲気がぴりぴりとしている。
昨日は帰ってきて、ろくに話も出来なかった。
だから、今日話すと言う。
何のことか、彼女には理解できなかった。
「この間、担任の先生から連絡があってな。涼子だけ進路が不鮮明だということだ」
「あー……」
言葉が詰まる。
爽やかな朝の日差しとは裏腹に、重苦しい空気に。
涼子の進路は未定のままだった。
やりたいことも、就きたい仕事も特にない。
しかし今が楽しければいいという、自堕落な人間ではない。
目標がないから書けない。
何をしたらいいか分からないのだ、彼女は。
「お前はどうするんだ?」
「分かんないや」
「そんな適当でどうする? 自分の進路だろう」
「だって分からないものは分からないもの!」
現実はドラマとは違う。
ドラマのように「大学に行ってやりたいことを見つけるよ」と言うわけにはいかないのだ。
大学も学校の一つ。
何も考えずに大学に入学したところで、どうしようもない。
「そんなだから学校から連絡が来るんだ……。全く何かしたのかと思ったぞ」
「何かって何よ! こう見えても学校じゃ普通なんだから!」
「普通ならせめて進路くらい決めておけ!」
「そんな無茶苦茶じゃない!」
始まった。
始まってしまった。
喧騒を母と沙耶は見るだけしか出来なかった。
隙を見て朝食を運ぶも、終始だんまりの父と涼子。
これでは朝食も喉に詰まってしまう。
食べ終わると涼子はすぐに着替えて家を出た。
荒々しい扉の音が響く。
「沙耶、お願いね」
「姉さんのことでしょ? 本当、全くね……」
沙耶もすぐに着替えて外に出る。
もう涼子の姿はなかった。
何とか周囲を走り回り、涼子を探し出すことは出来た。
「姉さん、落ち着いて」
「むぅ……」
そのまま家に帰る気にはならないらしく、涼子と沙耶はぶらぶらと歩くことにした。
***
そして現在。
喫茶店にいる。
「でも本当に進路はどうするのよ」
「沙耶まで? その話は無し!」
「でも……このまま帰っても何て言うつもりなのよ」
涼子が黙る。
確かにこのまま帰って何と言おうか。
「でも仕方ないでしょ? やりたいことなんて何も無いんだから」
「そうかもしれないけど……」
「大学行ってまで見つけるほど、夢中な事だってないし」
「……」
そのとき沙耶は理解した。
本当は涼子だって苦しんでいたんじゃないかと。
何もやりたいことが無くて。
でも進路を決めろと急かされて。
友達にだって何度か訪ねられたはずだ。
進路どうするって。
「一応大学って書こうとは思ったけど、何か気が引けてさー……」
「姉さん、そう妙な所はしっかりしてるから……」
「妙なは余計よ」
コーラを飲み干す。
全くもって問題が解決しない。
「でも早くしないといけないのは本当だけど……たしか大学ってもう募集してるところもあるんでしょ?」
「そうなのよ。10月の募集が一般的らしいけどね」
大体推薦入試となると早めの募集、早めの結果発表と言う形になる。
2ヶ月しか、猶予はない。
いや2ヶ月しかないととるか2ヶ月もあると意味をとるかで大きく変わってくるが。
何にせよ夏休みが終わるまでに何か決まっていればいいのだが。
あーっ、と妙なうめき声を挙げて涼子が顔を上に上げた。
空の青さと眩しさが目に痛い。
「あー……お腹空いた」
朝は頭に血が上っていたので今一朝食の味も覚えていない。
食べたのかどうか、感覚もおぼろげ。
「しょうがない。今日の昼食は私がおごるわ」
「沙耶?」
「家に帰って食べるって気分じゃないでしょ? 今から電話してくる」
「悪いわねー、ありがと」
***
昼食は軽く喫茶店でとることにした。
ほんとに沙耶のおごりで、何でも頼んでいいと言われた。
だから。
「スイマセーン、デラックスピザ一つ」
「……なんで一番高いものを?」
「だって何でも頼んで良いって言ったから」
「それでも普通は加減するでしょ!? 空気を読もうよ、姉さん!」
「えー、無理」
無理じゃあない。
決して無理じゃない。
「じゃあミックスピザを」
諦めて普通のピザを頼む。
料理が出てくるまでの間、涼子は考えていた。
自分は本当に何がしたいのか。
小学生や幼稚園の時は将来の夢などといって色々と書いていたが、叶う訳がない。
小さい頃からの夢が叶うのは努力した人間のみ。
そういえば小さい頃の夢ってなんだっただろう。
涼子はふと、考え始めた。
小さい頃からやんちゃで、外を走り回っていた。
そのときの夢は、定番の「花屋」だった。
「……そういえばそう言ってたっけ……」
「姉さん?」
「ううん、何でもない」
本当に何でもないのに。
何でもないというのに。
***
昼食を食べて、喫茶店を出たところで沙耶は本屋に寄ると言い始めた。
参考書を買うとのこと。
涼子は暫く外を散歩して帰るという。
今すぐ家に帰る、というわけにもいかない。
喫茶店を出て、町のメインストリートを横切って。
土手道を歩く。
夏の日差しと吹き行く風が心地よく、ついつい横になって眠ってしまいたくなる。
その土手道を歩きながら、雑草の中に咲く花を見つける。
黄色い花だった。
「あー……何だったっけ、この花。昔図鑑で見たことあるような……」
するとだ。
その50mほど先に小さな女の子がしゃがんでいた。
何かを探しているようだ。
涼子が近づいて、声をかけた。
少女は麦藁帽子を頭に被って、必死になって探し物をしていた。
「どうしたの?」
「おねーちゃん、だぁれ?」
「んー……通りすがりのお姉ちゃん」
「そうなんだ。あのね、四つ葉のクローバー探してるの」
四つ葉のクローバーの希少性は異常。
そこらにあるというわけでもない。
しかし周辺には確かにクローバーが広がっている。
もしかしたらあるかもしれない。
涼子は腕まくりをし、一緒に探し始めた。
「ないねー」
「そうねぇ……。四つ葉のクローバーって早々見つかるものじゃないし……」
草の根を掻き分けて、探し続けるが一向に見つからない。
それから暫く粘ってみたが見つからなかった。
「ねぇ、四つ葉のクローバー見つけてどうするの?」
「んとね、えと、おかーさんにあげるの」
少女の母は朝から夕方まで仕事で家にいる時間が少ないと言う。
加えて近々誕生日、プレゼントに使うと少女は言った。
それを聞いて俄然、探し出さなければならなくなった。
そこで涼子は別の場所を探すことにした。
二人で手分けして別々に探せば、確立もあがると言うもの。
見つかればいいが。
暫くして日が沈み始めた。
それまで青かった空が茜色に染まり始める。
「あった?」
「ううん、なかった……」
しょんぼりと肩を落とす少女。
残念だが、涼子のほうも収穫はなかった。
収穫も泣く二人で土手を登る。
「残念だったね、クローバー」
「……うん」
「でも大丈夫よ。その気持ちさえあればきっとお母さんに伝わるわよ」
「ほんと?」
「本当も本当よ。だから安心しなさいな」
少女がにぱっ、と笑顔を浮かべる。
その笑顔だけで、涼子は良かった。
見つからないで泣きべそをかかれるよりも、何倍も。
「おねーちゃんありがとー」
そういって少女は走り去った。
残された涼子も小さく手を振り。
何だかすっとした気分になった。
ああやって喜んでくれるのなら、こちらとしても大歓迎だ。
「……帰ろ」
***
家に帰ると、父の姿はなかった。
いたのは母と沙耶だった。
「あら、遅かったじゃない」
「ちょっとね」
そういってキッチンの入り口に立ったまま。
「ねぇ、母さん」
「んー?」
「私大学行くよ」
「なぁに、急に」
今日あったことを話す。
土手で出会った少女のように。
人が喜んでくれる仕事に就きたい。
ドラマのように、大学に行って決めるということなんて起きない。
しかし何か手がかりならあるかもしれない。
それを掴んで、道しるべにして、迷って悩んで。
「もう何を言ってるかわからないけど……」
「何もしないで何年も家にいられても困るしねぇ……」
母がタオルで手を拭く。
「ちゃんとお父さんには言うのよ」
***
その日の夜。
涼子はたどたどしいながらも、自分の思ったことを全て父に告げた。
父はひたすら黙って聞いていた。
涼子の話が終わったのは、30分と言う時間がすぎた時。
「……ダメだ」
「父さん!?」
「何故そのことにもっと早くに気付かなかった?」
父の言うことももっともである。
どうしてもっと早くに進路を決めなかったのだろう。
全ては「きっかけ」だった。
彼女が進路を決めるのに「きっかけ」が必要だったのだ。
その「きっかけ」が今回は土手で出会った少女だったと言う話で。
父も、涼子に「きっかけ」が必要だと言うことは知っていたようだ。
「しかし、いくらダメだといったところで素直に聞くお前じゃないしな」
「む」
「ちゃんと大学に行ったらその後のことを考えるんだぞ。4年もの間を棒に振るようなことだけはするなよ」
「……うん」
どうやら丸く収まったようだ。
涼子が部屋を出ると、沙耶がついてきた。
何故かその顔には笑みを浮かべて。
「何か姉さん、この2日で丸くなったわね」
「体重的な意味で?」
「ううん、人間的な意味で。あーあ、でも寮に戻ったらまた破天荒な姉さんに戻るんだろうなぁ」
「何よ、イヤなの!?」
涼子が掴みかかる。
「ふが、苦しい! 嫌じゃないわよ、そっちの方が姉さんらしいけど……。何はともあれ、決まって良かったじゃない」
「……」
無言で離す。
「そうね、沙耶にも色々と世話になったし……ごめんね、色々心配かけて」
「全く、眼鏡落ちるかと思ったじゃない」
「じゃあ今夜は一緒に寝ようか?」
「嫌よ! 恥ずかしい!」
彼女なりの精一杯のお礼のようだった。
(第五十四話 完)
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