第五十話  何でも無い様なそんな普通の一日

 8月2日、日曜日。

 朝8時30分。

 真が起きた。

 やはり夏の暑さには敵わない。
 
 さっと着替えて、一階に降りた。

 すでに一階では皆が自由に過ごしている。

 風華が作った朝ごはんを食べて、歯を磨いて。

 二階に上がって宿題を進めようとする。

「……ダメだ、暑すぎて全然進まない」

 夏も真っ盛りの8月。

 集中しようとじっとしていると、じっとりと汗が浮かんでくる。

 これでははかどるものもはかどらない。

 窓を開けて空気の入れ替えをしよう立ち上がる。

 これなら暑さも少しは誤魔化せるだろう。

 するとだ。

 窓からレンが入ってきた。

「はは、おいでおいでー」

 ついついレンとじゃれてしまうが。

「にゃー」

 謎の黒猫が入ってきた。

「は?」

 その黒猫も真に懐いてくるが。

 それよりも反応したのは背後のあの人。

 幽霊さんだった。

「黒猫さん、どこからきたのかなー」

「にゃー」

「ふむふむ、なるほどなるほど」

 分かるのかどうか怪しいところである。

 それからも幽霊さんと黒猫の謎の会話は続いた。

 その間、真はレンをもふもふしたり。

「で、何か分かったんですか?」

「何がですか?」

「黒猫の言ってること」

「分かるわけないじゃないですか。私にそんな力ないですよー」

 笑いながらさらりと言ってのける。

 ペット愛好家の人が、自分の飼い犬などに話しかけるのと同じだと彼女は言う。

 そんなものなのだろうか。

 そんな幽霊さんを横目に、全ての集中力が切れてしまった真。

 教科書を畳んだ。

「うん、別に夜からやれば良いし。今頑張る必要もねぇよ」

 だいたいそういう人間に限って「明日から」と引き伸ばしてしまう。

 そして夏休み最終日近辺になってから慌てて宿題をするのである。

 主に自由研究などが残っていたら地獄である。

 それでなくても高校の宿題とは面倒なものばかりである。

 読書感想文、自由研究。

 さらには問題集をかなり先まで仕上げてこいなど。

 担当教員によっては宿題を出さない教師もいるが、極まれである。

「あの、この黒猫さん飼っちゃダメですか?」

「さぁ? 俺一人じゃ何とも言えないですし」

 それだけ言うと真は部屋を出た。

 宿題をしないとなるととたんに暇になる。

 再び一階に降りる。

 先ほどよりもダラダラとしている皆がいる。

 その中、風華とひなたが台所で何かこそこそしている。

「……ひなた先輩たち何してるんですか?」

 近くにいた沙耶に聞く。

「さぁ? 何か料理作ってるみたいだけど……何かしらね?」

 気にはなるが、出来てからのお楽しみと言うことか。

 10分ほどだろうか。

 風華とひなたが台所から出てきた。

「ご飯ですよー」

「早いッ!?」

 まだ11時にもなっていない。

 真はつい先刻、朝食を食べたばかりだと言うのに。

 ご飯がテーブルに並べられていく。

 真っ白いご飯が、茶碗に盛られている。

 そしておかずは。

「……なんでタコさんウインナー?」

「作ってみたよー」

「苦労しました」

 広めの皿にタコの形のウインナーが山盛りになっている。

 他のおかずは無い。

「いただきますー」

「……」

 皆絶句していた。

***

 さて、かなり早めの昼食を食べてから2時間。

 現在昼の12時40分。

 早速暇になった。

 よし、こういうときは外に出よう。

 何かあるかもしれない。

「あるぇー、しんひゃんどこかいくのぉ?」

 もしゃもしゃと饅頭を食べながら風華が顔を出す。

「ちょっと出かけてくるよ」

「あ、ちょうど良かったわ」

 涼子が飛び出した。

 この場合のちょうど良かったの後に続くのは十中八九アレだ。

 そうつまるところ。

「お煎餅買ってきてよ。ハイお金」

 買い物と言う名の使いパシリである。

 渡されたのは500円硬貨。

 どうも寮の煎餅が切れてしまったようだ。

 そもそもこの寮で煎餅を消費するのは、和日、涼子、風華の3人。

 3人がかりならばどんな煎餅もたちまち消えてしまう。
 
 渡された500円硬貨を財布に収め、外に出た。

 外ではセミが鳴き、太陽の光が地面を照らしている。

 その熱がゆらゆらと陽炎を生み出している。

 立っているだけで解けてしまいそうな錯覚に陥る。

 これが夏と言う気候である。

 走る気力もなく、ただぶらぶらと歩く真。

 自転車を使えば涼しい風が突き抜けるだろう。
 
 ただ、あとで体が熱を帯びるのは正直御免だった。

 寮を出て少ししたところにある模型店。

 先日、顔は知っているけども名前を知らない少年とミニ四駆勝負をして敗戦を帰した場所。

 煎餅を買うという重要任務を受けているが、あの少年がいるかどうか気になった。

 少し覗いてみることにした。

「あ」

「お? おお! ……ああ、お前か」

 何だろうこのリアクションは。

 今日も一人でミニ四駆を走らせていた。

 いや、よく見ると一人じゃない。

 実際は知らせているのは彼一人だが、周りには数人の子供がいた。

「何してるん?」

「マシンを走らせているんだよ。今週の半ばにレースがあるからさ。お前も出ろよ?」

「ああ、暇だったらな。……ああ、そう言えば」

 真が腰を落とす。

「名前、聞いて無かったよな?」

「俺の?」

「他に誰がいる」

 周りの小さな子供の名前なんぞを聞いても何の特にもならない。

 それより、これからもいろいろと顔を合わせることになりそうな彼の名前を聞いておくほうが色々と得策。

「高天原 翔だ。お前は?」

「塚原 真」

 あくまで短く返す。

 翔は走らせていたマシンを止める。

 今日はマシンを持ってきていないのか、とか。

 アレから何か変わったか、とか。

 ほぼ一方的に話をされた。

 真がほとんど話すまもなく、翔は模型店を後にした。

 どうも帰ってセッティングをするとか。

 残された真もやや遅れて模型店を出ると。

「あれー、いいんちょだ」

 優菜たち3人組に出会った。

「ぎゃあ」

「ぎゃあって何よ」

 3人組の一人、結衣が突っ込む。

「こんなところで何してるの?」

 優菜が問う。

 特に用と言う用は無かった。

 本当にただふらふらと入って言っただけと説明する。

「そういう釘宮さんたちは何を……?」

「今から遠くに古着を買いに行くところなのよ。一緒に行く?」

「行かない。買い物任されてるし」

 3人組の一人、美羽にそう返す。

 すると電車の時間に遅れるのだろうか、時計を見た3人は足早に真の前から去っていった。

***

 スーパーマーケットまるはち。

 それが真たちが通う店の名前。

 彼方が七海とであったのもこの店で。

 煎餅コーナーに向かう途中。

 そこで彼らに出会った。

「彼方に瑞希……?」

「おう、真じゃないか!」

 いつもと変わらないテンションの高い彼方。

 瑞希もいつもと変わらない普通のテンションだった。

「買い物か?」

「お前は?」

「……買い物と言う名のパシリをだな」

「大変だな、塚原も」

 彼方たちも偶然外をぶらぶらしたいたら合流したと言う。

 意外とみんなやることは同じと言うことを痛感した。

 特に買うものもなく、ぶらぶらと歩く3人。

 本コーナーに立ち寄り、少年週刊誌を立ち読みする。

 その後は菓子コーナーに立ち寄って、真は目的のぶつを手に入れることが出来た。

 彼方たちも適当にガムを買って店を出る。

 店の中は冷房が効いていて涼しかったが、外に出るとやはり暑い。

 たまらず、中に引き返す。

「どうして夏はこうも暑いかねぇ、全くさ!」

「いや、夏だからだろう?」

 彼方の怒りに真が返す。

 3人は戻りついでに、アイスクリームを購入してベンチで食べる。

 ひんやりとした冷たい甘さが口の中に広がっていく。

 こういう暑い日はアイスを食べるに限る。

 そして食べ過ぎて腹を壊すのが常識。

「今度はしょっぱいものが食べたくなったなぁ」

 彼方が真の持つ煎餅を見る。

「いや、これはダメだ。食べたいなら自分で買って来いよ」

 甘いものを食べたら塩っぽいものを食べたくなる。

 そして塩っぽいものを食べたら今度は甘いものを食べたくなると言う悪循環。

 これだけはどうにもならない。

 ただ、真の持つこの煎餅だけは渡すわけには行かない。

 新しいものを買えばいいのだが、生憎そんなに手持ちに余裕は無い。

「そうえいば、宿題進んだか?」

「いや、全然」

「自由研究とか……」

「いや、全然」

「日本史の暗記とか……」

「いや、全然」

 夏休みが始まって既に1週間が過ぎた。

 ここまでほとんど宿題が終わっていない。

 勤勉な生徒、あるいは早く遊びたい生徒はもう終わらせている頃だ。

 少なくとも真も彼方も瑞希もそこまで勤勉な生徒ではない。

 毎日少しずつ、進めようとするもなかなか進まないのが現状である。

 もっとも、賑やかなあの寮では進むものも進まないだろう。

 本気で薦めようとするならば参考書などがおいてある図書館へ向かうべき。

 ただ図書館だと眠くなると言う謎のジンクスがどこの街でもある。

「あーあー、どこかに未来から猫型ロボでもこねぇかなー」

「マンガの見すぎだろ……、バカ」

 そんな感じでダラダラと話をしていた。

 すると、だ。

「つ、塚原くん……?」

 消え入りそうな声が聞こえた。

 2回へと上がるためのスロープに、彼女はいた。

 遥だった。

***

 遥がアイスを手に、真達と同じ椅子に座った。

 その内容は、やはり夏休みの宿題の話。

 真達がどうにも進まない、と言う話をしているが。

「有馬さんは? どれくらい進んだの?」

「え、私は……」

「ああ、終わってないんだよ、きっと」

 そうやって勝手に話を進める。

「あ、終わったよ」

「ほら、終わったって……ん?」

「今日の、午前中に終わらせたよ?」

 それだけ言うとうつむいた。

「有馬様、有馬様! どうか私達に宿題の答えをお恵みくだされぇぇぇぇッ!」

「え、え!? だ、駄目だよ、そんなの……」

 慌てふためく遥。

 そんな彼女に詰め寄る彼方。

 そもそも真も瑞希もそんなに乗り気ではないのに「私達」とはこれ如何に。

 困る遥と拝むように言葉を発する彼方。

 傍から見ているとかなり異様な光景で。

「つ、塚原くんはこんなこと言わないよね?」

「ま、まぁ言わないし……。そもそも思いもつかないわ」

「うん、俺も右に同じく」

「この哀れな豚めに答えをお恵み下されぇぇぇっ!」

 ついには自分を卑下し始めた。

 もう、駄目かもしれない。

***

 さて、ずいぶんと遅くなってしまったが無事に煎餅は買った。

 いそいそと寮に帰る。

「ただいま帰りましたー、と」

「お帰りー。遅かったじゃない」

「色々ありまして……」

 時計の針は2時を指していた。

 今から休憩して、ダラダラして、夕飯を食べて。

 その後宿題をしよう。

 そう誓ったはずなのに。

「ふあ……眠いし寝るか」

 夜の9時になると真は布団にもぐっていた。

 明日も休みだし明日やればいい。

 そう自分に言い聞かせて。

 こうして夏休みのなんでもない普通の一日は過ぎていく。

 余談であるが、この日窓を開けっぱなしにして眠った真は翌日の朝、喉を痛めていたという。

(第五十話  完)


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