第四十五話 やれ豚汁
一日目が終了した。
最後まで豚汁喫茶はにぎわっており、それなりの売り上げを達成することが出来た。
現在リビングで売り上げを集計しているところである。
だが、真には一つだけ気がかりなことがあった。
彼方と七海が来なかった。
別段悪い意味ではないのだが、あの二人ならば茶化すついでに来るとばかり思っていたので。
一秒たりとも姿を現さなかったのが、気になっていた。
「終わったわよー」
涼子が言う。
テーブルの上には100円玉や50円玉が積み上げられていた。
「で、いくらだったんですか?」
「今日の売り上げは1万2300円ね。上出来じゃない」
150円の豚汁と250円のご飯セットでこれだけ儲けることが出来た。
確かに彼女の言うとおり上出来である。
そもそも目標金額の5万というのは、あくまで冗談めいた目標であり。
本当は、多くの人が寄ってくれればそれでよかったのだ。
その1万2300円を茶封筒にいれる。
学園祭が終わるまで、取って置く。
「いやぁ、それにしてもあの値段で結構売り上げたわよね」
「そうですね。明日もいっぱい来てくれると良いですよね」
ひなたが言う。
明日はどんな人が来るのか。
「ねぇ、しんちゃーん」
間延びした風華の声。
口に含もうとしていたコーラのコップを置いた。
「何?」
「今日のあの先生のことだけど……」
風間のことか。
また風華も厄介な人間に目をつけられたもので。
風間は学校でも有名な先生だった。
顔はいいのに女を見ると見境なく声をかけるとんでもない男。
それさえなければ最高だとか。
それに先生になる前は美容室でメイクアップを担当していたとか。
おかげかどうかは分からないが、嫌にフェミニストな風間。
「ちょっとあの人苦手……かも」
「俺も苦手だよ、あの先生は」
美術担当であるが、授業そっちのけで女の人について話をし、そのまま時間切れということもしばしばある。
周囲の男子生徒はそんな風間の話を楽しみにしているらしく、話になるととたんに目が輝き始める。
「苦手だよねー」
「ねー」
明日も来るのだろうか。
少し心配な風華だった。
***
7月12日、午前9時30分。
学園祭最終日。
今日は午後3時まで豚汁喫茶を展開。
その後は閉祭式。
あのコスチュームを身につけたさくら寮の面々が、準備をしていく。
「で、今日からスペシャルメニューを追加しようと思うの」
「今日からってかもう今日一日しかないですけど」
「そこは突っ込んじゃダメよん」
涼子が紙を出した。
それによると大食いチャレンジをしようとのこと。
制限時間は10分。
通常の7倍の量の豚汁を食べるとのこと。
失敗したら、1050円を払わなければならない。
ちなみに1050円とは、ただ単純に通常価格の150円の7倍であるからこの値段が付いたとか。
「これ、危なくないですか……?」
大食いものといえばテレビ番組でも一昔前にブームになっていた。
そのため真似をする子供が後をたたず、ついには死亡事故まで起きてしまった。
それ以降各テレビ局では大食い特番を自重し、今ではほとんど見ることはなくなった。
「一応学校のほうにも許可は取ったし」
「姉さん、こういう時ばかり早いんだから……」
「それで、涼子先輩。質問があるっす」
「はい、かっちゃん」
「器はどうするんですか?」
空気が凍る。
その状態が数分続いた。
器くらいは用意してあると思ったが、どうやら用意していなかったようで。
「お昼くらいになったら大きい器買ってきてもらうわ」
そう言って真の肩に手を置いた。
「ね?」
その一言で全てを悟った。
しかし7倍の豚汁といえど高は知れている。
まあそのための制限時間10分なのだが。
「よーし、今日も張り切っていくわよー!」
豚汁喫茶が開店した。
やはりリピーターというものはいるもので。
天道と加賀美は今日も来ていた。
「……」
「いや、天道がどうしても豚汁の味を忘れられないって言ってさ」
「そうなのか。意外だな……」
そしてもう一人。
紺色の髪の男が椅子に座っていた。
「いらっしゃいませー」
北条智樹。
亜貴と同じバスケ部で、何かにつけて彼と対立している。
そんな智樹が、ここに来た。
「……なんでお前がここにいるんだよ」
「いちゃ悪いか。豚め」
「き、様っ!」
「まぁまぁ」
和日が止める。
メニューを見る智樹。
「豚汁」
「は?」
「だから豚汁を持って来いと。豚汁喫茶なんだろ?」
確かに。
亜貴が裏に引っ込んだ。
何やらぶつぶつと言っているようだが。
「それにしてもアンタがくるとはねぇ。予想もしなかったわ」
「……俺だって学祭くらい出る。勘違いするなよ赤毛」
「はいはい」
和日が別の客の相手をするためにその場を離れた。
と、別のテーブルに座っていた天道と目が合った。
「……」
「……」
二人とも無言だった。
暫くして亜貴が豚汁を運んできた。
嫌いな相手だが、客としてきている以上はちゃんと接客しなければならない。
「どうぞごゆっくりー」
一口、口に含む智樹。
やや遅れて天道たちの下にも豚汁が運ばれてきた。
「……ん」
首を傾げる智樹。
何かが。
何かがちょっとだけ足りない。
基本的に美味しいのだが。
ほんの少し、何かが足りない。
「あ」
顔を挙げる。
バターだ、バターが足りない。
近くを通った真を掴まえる。
「ちょ、何スか」
「この豚汁、バターを少し入れると美味しくなるぞ」
「はぁ」
***
やはり昼ごろからどっと人が来るようになった。
今まで以上に忙しくなる豚汁喫茶。
その中で、見慣れた顔を見つけた真。
早速声をかける。
「彼方!」
「ん、ああ、真か」
妙だった。
妙なまでに元気が無い。
どこか落ち込んでいるようにも見えるが。
彼方が椅子に座ると、真は口を開いた。
「昨日来るかと思ったけど、来なかったのな。何かあったか?」
「……まぁ、色々とな」
「鈴原さんは? 一緒じゃないみたいだけど」
「色々あるんだって……」
これは本格的に何かあったとみて間違いないだろう。
そんなこんなで真と彼方が話していると、昨日と同じように遥と夕菜たちがやってきた。
「いらっさいー」
「いいんちょ、サボってないで仕事しろー」
「そうよそうよー」
「サボタージュはいかんよー」
「サボってないけど……」
彼方の近くに座り始める女子4人。
豚汁をオーダーする。
いつもどおりきゃあきゃあと話をしている。
「ちょっと、木藤くん何しょげてるのよ」
「んえぇ……?」
本気でがっくりしていた。
そんな彼方を見てかどうかは分からないが、真が運んできた豚汁にはご飯が付いていた。
「セットなんて頼んでないぞ、真」
「いいから喰っとけ。サービスだ」
豚の気ぐるみの真が言う。
彼なりの気遣いだったのだろう。
「いいなー。ねぇ、私達には?」
「セットを頼めば良いと思うよ」
「ひいきイクない!」
ブーイングを受けた。
しかしそこは遥がきちんとフォローをしてくれたので、大事には発展しなかった。
さすがは遥。
しっかりしている。
と、その時である。
夕菜が何かに気付いた。
「ねぇ、あれいいんちょのお姉さんじゃない?」
そこには風華がいた。
***
「えっとー、何でしょうかー」
「今日もお美しい。そう例えて言うならば、この世に舞い降りた一人の……一人の」
「ちょっと」
「えーと……」
風間だった。
そんな彼に真が声をかけるが無視をされてしまう。
先生としてあるまじき態度だった。
なおも風華を口説き落とそうとする風間。
「こらーっ!」
「何だ豚ですか」
「ちょ、先生の言うことじゃねぇ」
頭をなでられる真。
何かイライラしてきたので。
「注文しないんでしたら、退いていただけませんか?」
「おやおや、仮にも客の私に向かってそのようなこと……」
やはりどこか掴めない。
その後も色々言ってみるが、ものの見事に全て避けられてしまう。
風華も困っているようだし、どうすれば良いか。
「それでは、これから私と一緒にどこか行きましょうか」
「……や」
「はい?」
「いやー! しんちゃんといるー!」
ついに風華が色々な意味で切れた。
半泣きで叫ぶ。
「そんなにこの子の方がいいんですか!?」
風華の肩に手を乗せようとしたとき。
真がその手を捻り、後ろに持っていく。
「ぐぁっ!?」
「やめてよね。風間先生が本気でケンカしたら僕に敵うわけないじゃない」
とは言ってみるものの。
「いてててててててててっ」
すぐに返されて、逆に真がピンチになった。
関節が悲鳴を上げる。
終いには涙が出そうになった。
風間も、どことなく居所が悪くなったのだろう。
風華に三言告げてその場を去った。
その場に膝をつく真。
「大丈夫ー?」
「何とか……。あの人、思いっきり捻りやがった」
別に他人の恋愛にとやかく言うつもりはないが。
他人が嫌がっているのを無理やり自分に付き合わせようとするのは間違っていると思う。
真はそう考えていた。
風間がどう取るかはまだ別の話だが。
***
さて、昼時のピークも過ぎた午後2時。
弊店まで残り1時間となった。
昼時に比べると客足は減ったものの、それでも少しはこの豚汁喫茶に来ていた。
オーダーストップは2時30分。
「もうそろそろ片付け始めなきゃね」
「そうね。こんどはちゃんとやってよ、姉さん」
「何よ、人がまるでダメ人間みたいに……」
涼子が唇を尖らせた。
準備は長かったが、始まると意外と早く終わってしまった。
ちなみに彼女が提案した大食いチャレンジも、何人かが参加していた。
成功したものもいれば、失敗したものもいる。
それでかなりの金額を稼いだはずである。
「さ、もう一頑張りよ! しっかりやりましょー」
で。
オーダーストップの時間となった。
そのあとは皆で片づけをする準備。
制服を脱いで、普段着に着替えた。
人の座っていない椅子を寮の中に運び、テーブルを折りたたんでいく。
真も亜貴と一緒にテーブルを運ぶ。
「ふぃー。あとは閉店後の片付けだな。また宜しく頼むぜ、塚原」
「そっすね」
最後の客が帰ったのは3時の5分前だった。
それから閉店後、寮の皆で片づけを始める。
閉祭式の始まる午後4時までに片付けておきたい。
いや、それよりも少し早めに切り上げないと、移動する時間がなくなってしまうか。
とにかく片付けられるところまで片付けておくことに。
「ねぇ、七味とかどうしよう」
「キッチンに置いてください。絶対あとで使いますから」
「ひなた先輩、食器は流しに置きます?」
「はい、お願いします」
てきぱきと片付ける。
この調子なら、30分もかからないか。
それにしても色々な人が来た。
そして嫌な人も来た。
「本当に気をつけなきゃね、ふーねぇ」
「ん?」
当の本人もうすうすは気付いていると思うが、あえて気付いていない振りをしているのか。
それとも触れたくないのか。
「それより、あと15分しかないよ? 行かなくて良いの?」
「はっ!?」
他の皆も時計を見た。
「ここは私に任せて、早く行くんだー」
などと死ぬ間際の仲間のようなセリフを吐いてみせる。
冗談ではないが。
寮から教室に戻って、体育館に向かう。
15分で間に合うかどうか。
一斉に走り出した。
閉祭式が終わるまでが学園祭。
それに出れないなんて、少しばかり嫌だった。
「おう、いいんちょ。もう皆体育館に行ってるぞ?」
瑞希と出会い、そのことを耳にした。
教室にいたのは、数人の生徒だった。
その中でも一番遅かったのは真だが。
体育館履きに履き替えて、瑞希と一緒に走る。
肩で息をしながら、廊下を疾走する。
その甲斐あってかたどり着いたのは、会が始まる2分前だった。
4組の生徒のほとんどは席に座っていた。
座って息を整えようとする。
しかし皆から突かれたりなどのちょっかいを受け、それどころではなかった。
そして気付いたら閉祭式が始まっていた。
最初に生徒会長の話。
そして校長の話。
更には総評。
そんなことはどうでも良かった。
現に、話の間眠っている生徒がいた。
「では次に、学園祭の風景を振り返ることにしましょう」
そういって体育館が少しずつ暗くなる。
始まったのはスライドだった。
生徒の写真をスライドにして、垂れ流していた。
クラス発表で踊っている生徒や、準備風景。
店を出して働いている生徒。
そして。
「ぶはっ!」
豚の気ぐるみを着て働いているさくら寮の面々。
あんなにでかでかと垂れ流されるとは思ってもいなかった。
「おいおい、いいんちょ、えらく可愛いもの着てるじゃないか」
そんな声がちらほらと聞こえてくる。
早く終わらないかしら。
心底そう思っていた。
***
結局閉祭式が終わったのは午後5時のこと。
終わったとたんに気が抜けたらしく、皆教室で喋っていた。
終わる気配がない。
「何だかんだいって、早かったなぁ……。学園祭」
来年は、どうなっているんだろうか。
そんなことばかりが頭の中にはあった。
(第四十五話 完)
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