第四十四話 いざ豚汁

 7月11日、土曜日。

 朝6時30分。
 
 豚汁喫茶の朝は早い。

「何で昨日のうちに用意しておかなかったんですか! メニュー!」

「仕方ないでしょ、皆疲れてたんだし」

 涼子と言い争う真。

 豚汁喫茶開店まで残り4時間。

 そう。

 メニューが出来ていなかった。

 外のテーブルの配置などはひなた、杏里、亜貴、和日がやることに。

 残りの真、涼子、沙耶、風華でメニュー作り。

 白い画用紙に字を書く。

 テーブルは7台、メニューはその倍は作っておかないとならない。

 どれだけの人が入るか分からないが、多く作るには越したことがない。

「はい、ふーねぇ。画用紙。切ったら俺に渡して」

「うん」

「ちょっと塚原くん、これ字が違うわ」

 沙耶が指摘する。

 凡ミスだった。

 確かに字が違う。

 焦っているからどうでもいいようなミスをするのだ。

「焦ったって良いことなんてないわよ〜」

「涼子先輩はのんびりしすぎです! もうちょっと緊張感を……」

「姉さんに緊張感なんてこと言っても無駄よ」

「ふぇー、指切ったー」

「ちょ、ハサミを使えば良いのに何でカッターなんだよ……」

 どたばたしている。

 そうしている間にも時間は過ぎていく。

「すいませーん、どなたか手伝ってくださいー」

 玄関からひなたの声が響いた。

 手が足りないのか。

 真は様子を見に向かう。

「何と言うか……手伝いが必要って言うだけの事はありますね」

 ほとんど進んでいなかった。

「亜貴さんとかっちゃんがケンカを始めてしまいまして……」

「だからー、テーブルはこっちだって!」

「ちーがーうー! それは絶対に無い、却下よ!」

 時間が無いというのに。

 真が止めに入ろうとするも、逆につまみ出された。

 どうしようか。

「とりあえずこっちはこっちで進めたほうがいいですよ。本当に時間なくなりますし」

「……あとやることって何?」

「えーとですね。今中でメニュー作ってて、それが終わり次第豚汁作って、お椀を用意して、コスチュームを着て……」

「あとお金の管理ですね。9時になったら生徒昇降口に銀行が出来るみたいです。そこで小銭とかに両替したほうが良いかと」

 何だか真達3人で回りそうではあるが。

 とにかく今はテーブルを並べよう。

 8人いれば大丈夫でしょう。

 実はこれを言ったのは真だった。

 1日目の夜。

 豚汁喫茶の準備を話し合っているときに真が漏らした言葉である。

 何が大丈夫なのか。

 全然大丈夫ではない、むしろ人手がほしい。

 今思えばどうしてそんなこと言ったのか。

 迂闊だった。

「あっきーもかっちゃんも、ケンカはやめて、やろーよー」

 杏里が二人に言う。

 未だにケンカ中だったが、準備途中だったということを思い出し。

 こうして一応は準備を再開することが出来たが。

 果たして間に合うのかどうか。

***

 午前8時30分。

 あれからメニュー作りは後回しで、寮の人間総出でテーブルを並べた。

 その上に学校から借りてきたテーブルクロスを敷き、イスを並べる。

 割り箸を筒に入れて、テーブルの上に置いた。

「あと、出来てるだけのメニューを並べて……」

 クリアファイルに入れたメニューを並べていく。

 何と言えないお手製の感じが出ているメニュー。

 メニューはあと5枚必要だった。

「あと5枚か……どう、沙耶? 出来そう?」

「もうちょっとなんだけど……ねぇ、とりあえずこれは私に任せて、豚汁を作り始めたら?」

「あら、そう? 大丈夫?」

「何とか、やってみる……」

 先ほどから作った結果、沙耶が作ったメニューが一番読みやすく、理解しやすい。

「じゃあ私達は」

「あ、待ってー」

 風華が止めた。

 何の提案だろうか。

「大切なこと忘れてたわ」

「……大切なことって何、ふーかせんせー」

「ん? とても大切なこと、よ」

***

 で。

 風華の言う大切なこととは。

 豚汁喫茶に限らず、飲食形の出し物で大切なこと。

 それは、客寄せである。

 多少クラスメイトなどが足を運んでくれるかもしれない。

 ただし、それでは大きな利益は望めない。

 もっと色々な人に来てもらうためには。

 客寄せしかなかった。

「そう、客寄せさえすればきっといろんな人が来るわよー!」

「それは一理あるけど……。どうやってさ? 声かけるだけじゃ限界が」

「看板よ」

 また手のかかることを。

 時間が無いというのに。

 ダンボールを切り、穴を空け紐を通す。

 結び目を作り、首から下げる。

 看板というからてっきり手に持つタイプかと真は勝手に思っていた。

 こうして首から下げていれば、歩くだけで宣伝になる。

「すげー、ふーねぇにしてはまともな考え」

「……それって誉めてるの?」

「うん」

 一応頷いておこう。

 すると風華は機嫌よく、看板を作り始めた。

 なるべく絵は描かないようにしよう。

 何が何だか分からないから。

 一応風華も自分の絵の下手さは自覚してるようだ。

「絵は誰かに任せたいなー」

「……?」

 杏里を見る。

「任せたいなー」

「……私頑張るー」

 筆を持つ杏里。

 普通に言えば良いのに。

 杏里が絵に取り掛かる。

 豚汁喫茶開店まで、残り一時間。

***

 午前9時。

「何とか、看板以外は間に合ったわね」

「あとは豚汁作るだけですね」

「それはひなちゃんと風華さんに任せて、私達はアレを着るわよ」

 早い。

 あれを着るのはまだ早いんじゃないんだろうか。

 真に手渡されたピンク色のコスチューム。

 皆せかせかと着ている。

「何してるのよ、さぁ、早く早く」

 涼子の顔が笑っている。

 着なければ、出さないとまで言われた。

 なら着るしかないじゃないか。

 どこかの兵士がこう言っていた。

「着ますよ、着ますって……」

 半ば諦めていた。

 相変わらず、嫌に重いコスチュームである。

「それじゃあ塚原くんに任務を与えるわ」

 そういって手渡されたのは1000円札10枚。

 ようはバラの1万円。

 涼子が言うには、それを500円玉と100円50円玉と10円玉に替えてきてもらいたいという。

 ちなみに豚汁は一杯150円。

 ご飯セットは250円。

 これだけの小銭に替えれば、不便は無いだろう。

「生徒昇降口でしたっけ」

「そ。そこに真由先生がいるから」

「あの人何やってるんですか。この寮の担当なんでしょ?」

 今までこの寮に来たことといえば。

 一番最初、真をこの寮に案内した時。

 それくらいである。

 まあ先生としての仕事が忙しいのかもしれないので、あまり多くはいえないが。

「ほーら、早く行ってきてねー」

***

 生徒昇降口。

 確かに「銀行」が出来ていた。

 しかしそれは生徒用の机3つを横に並べ、画用紙に「銀行」と書いただけのお粗末なもので。

 それでも生徒が集まるのは、それほど役立っているということか。

「すいません、両替してください」

「あ、いいんちょ。……そう言えば涼子が言ってたなぁ。豚汁喫茶するって」

 真由は真をつま先から頭の先までじろじろと見た。

 周りの生徒も真に注目している。

 やはりこの格好は恥ずかしい。

「ま、あまり冷やかすようなことは言わないけどね。で、いくらくらい両替するの?」

「と、とりあえず500円玉と100円玉、それに50円と10円……」

「多いわねぇ。ちょっと待ってて」

 真から千円札10枚を受け取り、両替をする。

 何しろ量が多いから時間がかかる。

 そしてこの格好で、生徒が集まるこの場所にいなければならないのだ。

 罰ゲームとして、最適である。

「あれー、いいんちょ。何してるの?」

「アッ」

 そこに現れたのは3人の女子だった。

「釘宮……さん?」

「何で疑問系なのよ」

 釘宮 夕菜とその友達である。

 夕菜は真の格好を見て、目をそらした。

 可哀想な、眼差しだった。

「ちょっと、いいんちょなんて格好してるのよ」

「でもかわいいかもね」

「…………」

 黙りこむ真。

 夕菜達はひたすら喋っている。

 もう帰りたい。

 心底そう思っていた。

 しかし夕菜達は何故こんなところにいるのか。

「で、釘宮さんたちはここで何してるの?」

「ん? ただ暇だからぶらぶらっとね」

「そうそ。あーあー、彼氏でもいたらなー」

「何言ってるのよ。この間「あんなやつと別れてやったー!」って言ってたのに? まーだ、懲りてないの?」

 何だか話が変な方向に向かい始めた。

 女子というのはどうしてこうも話が好きなのだろう。

 話すのが嫌いということより、大分良いとは思うが。

 それでも女子の話はころころと移り変わるのが早い。

 真も追いつくのがやっとである。

 内容まで真剣に聞くことなんて難しい。

「はい、いいんちょ。この封筒の中にお金入ってるから」

「ありがとうございます」

「ねぇ、いいんちょ。酷いと思わないー?」

 そんなことを言われる。

 聞いていなかった真にとって、何が何だか分からなかった。

「え、ごめん……。聞いてなかった」

「ひーどーいー」

「そうだ。あとでいいんちょの所の出し物、行っても良い?」

 夕菜が尋ねた。

 別に断る理由も無い。

「良いけど……。まだ豚汁出来てないよ?」

「お昼くらいに行くよ。じゃ、用意しててねー」

 それだけ言うと3人は去っていった。

***

 午前9時30分。

 真が寮に戻ると、ほとんどの準備は完了していた。

 あとは豚汁の完成を待つだけで。

「しんちゃーん。はい、出来たよー」

 風華が手渡したのはあの看板だった。

 その看板を首から下げる。

 動きにくいが、これは良い宣伝になりそうだ。

 ただ、イラストもふんだんに使われている。

 全部杏里が書いたという。

 風華が手がけていたらどうなっていただろう。

 きっと混沌とした看板になるだろう。

「ねぇ、このようこそ豚汁喫茶って……」

「あれよ、何て言うの……うにゅー」

「思いつかないなら言わないほうがいいって」

「ふーかせんせー頑張ったんだよ?」

 それは分かる。

 確かにこの看板、二人で一生懸命作ったという気持ちは分かる。

「誉めて誉めてー」

 何だろう。

 何でここはこうも。

 幼稚園のような雰囲気が漂っているのだろう。

「あの、塚原さん。お金は……」

「ああ、これです。ちゃんと管理しないと」

「さて、残り10分を切ったわよー。ねぇ、豚汁のほうはどうなの?」

「出来てますよ、涼子先輩」

 ちゃんとキッチンで作っているため、尋ねてきた人に注文されたら一度中に戻る。

 外で作っても良かったのだが、あいにく外にコンロ類は無い。

 豚汁の美味しそうな匂いが鼻を突いた。

「さあ、始めるわよー!」

「おー!」

***

 午前10時。

 豚汁喫茶が開店した。

 まずまずの客入りだった。

 その中には当然クラスメイトの顔もあるわけで。

「うあ、天道と加賀美がいる……」

 彼らもいた。

「塚原、何をしている。早くもってこい」

「一杯150円だって? 安いな、塚原!」

「はいはい、待ってろ……」

 寮の中に入る。

 豚汁2杯をオーダーする。

 すぐにひなたが紙のお椀に豚汁を掬い、お盆に載せる。

 二人の待つテーブルに向かうと。

 人が増えていた。

「風間先生……」

「おや、貴方が運んできたんですか。私としてはあそこにいる方に運んでもらいたかったんですけどね」

 そういって指差したのは風華で。

「彼女こそ、私に豚汁を運んでくるにふさわしい。そう例えるなら、一陣の……一陣の……えぇと」

「風っすか?」

「そうそう、それそれ」

 相変わらず珍妙なことばかり言う男だった。

「ああ、そうだ。ほら、豚汁だ。暖かいうちに食え」

「うお、ちょっと美味そうじゃねぇか! なぁ、天道!」

「そういや、天道の家って料亭だったな……。うへぇ、厳しい事いわれるかも」

 だから天道という男の舌は肥えているのだ。

 昔から鍛えられていたとかいないとか。

 天道がゆっくりと豚汁を口に含んだ。

 風味を確かめるように、ゆっくりと。

「ああ、すいません。私にも豚汁を」

「ういー」

「ほう、この豚汁……作った人間の気持ちが実にこもっているな。そこらへんの豚汁よりも実に美味い」

 天道が誉めた。

 それは珍しいことだった。

 様々な料理を口にしては難癖つける天道が開口一番、誉めたのだ。

 その様子に加賀美もただ驚いていた。

「お、本当にうめぇ!」

「あとで俺も食べるかな。ふーねぇによそってもらお」

 真が風間の分の豚汁のオーダーに向かう。

 その途中。

「やっほー、いいんちょ。来たよー」

 夕菜達が現れた。

 夕菜達3人のほかに、遥も一緒である。

 妙な組み合わせに真は首をかしげた。

 遥なら彼方たちと来ると思っていた。

「あれ、有馬さん……。彼方たちと一緒じゃないんだ」

「うん、そうなの。彼方君たち見当たらなかったの」

「そこでうろうろしてた遥を私達が」

「誘ったのよ」

「ねー」

「ねー」

「ねー」

 何だか妙な組み合わせで驚いたが、まあそれはそれで納得できるものだった。

 席に着く4人。

 早速豚汁を注文した。

「ねぇね、安くならないの?」

「びた一文たりともそう言うひいきはしませんので」

 というか150円くらい払え。

 そう言いたくなった真だった。

「とにかく豚汁4つね」

「そ」

「ちょっとオーダーしてくる」

 寮の中に入る。

 食べ終えた客が玄関では清算をしていた。

 先ほどの風間の分の豚汁も出来た。

 しかし真はオーダーに行かなければならない。

 少し危険だが。

「ふーねぇ」

「なーにー?」

「あそこの3番テーブルのナルシストの先生に豚汁持っていってくれないかな? これからオーダーを伝えに行かなきゃ行けないんだ」

「うん、任せてー」

 風華がお盆に豚汁を乗せて、風間の下に向かう。

 少し危険だが、開いているのは風華しかいなかった。

 涼子と沙耶、和日は接客。

 亜貴はレジにて清算。

 ひなたと杏里は厨房で豚汁を汲み。

 空いているのは風華のみ。

 風間はどうやら風華のことをどうにか思っているようだ。

 風華が豚汁を風間の前に置いた。

「どうぞー」

「美しいお嬢さん、宜しかったらお名前を教えていただけないでしょうか?」

「はい?」

 隣にいた加賀美が盛大に吹いた。

「ちょ、先生! 何言ってるんすか!」

「隣の小うるさいのは無視して、お名前を」

「えっと……」

 さすがの風華も困っている。

 それはそうだ。

 見ず知らずの相手にいきなりこんなことを言われればいくら風華でも引く。

「風華、です」

「風華さん。何と美しい……」

「はぁ……嬉しいですけど、あのぉ」

「どうです。今からメイクアップでも」

「ちょっと先生、人の姉に手ぇ出すなんて100億年早いっすよ」

 豚汁を運んできた真。

 どうやら風華のただならない怯え方に、足を運んだようだ。

「いや、失礼。私としたことが焦るなんて……。それでは、また今度」

 それだけ言うと150円を置いて席を立った。

 もとより女たらしとの噂だが、ここまで酷いとは。

 真はため息をついた。

***

「はい、お待ちどうさま」

 遥達に豚汁を渡す。

 割り箸を割って、豚汁を食べ始める遥たち。

 豚汁を食べる女子高生。

 妙な光景だった。

「ねぇ塚原くん」

 遥が声をかけてきた。

「なに?」

「これ、美味しいね」

 それは作ったひなたと風華に伝えてあげないと。

 きっと喜ぶだろう。

「ところでさ、いいんちょ」

「あい?」

「ご飯って無いの?」

 豚汁喫茶は、まだ始まったばかりだ。

(第四十四話  完)


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