第四十話 ひなたの過去

 7月8日、水曜日。

 学園祭までそんなに日がない、そんな日の朝。

 今日も皆でまったりと朝食を食べていた。

「ふーねぇ、しょう油とってー」

「はい、どーぞー」

 そんなやり取りが交わされる。

 今日も今日で学園祭の出し物の練習である。

 連日朝から夕方まで出し物の練習とは。

 かなり辛いものがある。

「ねーねー、そう言えばひなたちゃん達って何をするのー?」

 風華がひなた達に尋ねた。

 達という事なので他の人間にも尋ねていることが伺える。

「そうねぇ。私のクラスは合唱だけど」

 涼子のクラスは合唱らしい。

 曲目は当日まで秘密、と涼子が言う。

 まあ、聞いた者を驚かすような曲目ではないことは確かだ。

 何せ涼子の目が輝いていない。

 それだけで分かる。

「沙耶は何するのよ」

 涼子が沙耶に問う。

 ちょうどきゅうりの漬物に箸を伸ばしていた。

「私? 私のクラスも合唱だけど」

 まさかまさかの被り。

 姉妹で同じ出し物をすることになるとは。

 沙耶のクラスの合唱は規定時間内に3曲歌うらしい。

 短めの曲なのか、それとも違うのか。

「あっきーのクラスは……まぁ、いいか」

「いやいやいや。そこは聞いてくださいよ、涼子先輩!」

 亜貴のクラスの出し物を聞いてみる。

 亜貴のクラスはどうやら劇をするらしい。

 真と被った。

 そもそも学園祭の出し物なんか高が知れている。

 被ってもおかしくないのだが。

「ちなみに俺は裏方の仕事なんだ」

「何で? あっきーのことだからそういうのは、こぞってやるかと思ったのに」

「逆ですよ。俺が手を上げたときにはほとんどの配役が決まっていたと言う悲しい現実がですね……」

 悲しくなった。

 聞かなければよかったと、その場にいた全員が後悔した。

「ひなた先輩達は何を?」

「私達はダンスをすることになったんです」

「ダンス、ですか……?」

 ダンスはリズム感が命。

 もちろんばっちり決めることが出来れば会場も盛り上がる。

 しかしながらひなたも杏里もリズム感はゼロに等しい。

 唯一和日が動ける程度。

 大丈夫なのだろうか、一体。

「で、しんちゃんはももたろうなのよねー」

「うん。ふーねぇは読み語りだけど……」

「うん?」

 風華が真を見る。

 真も何か言いたそうだが言いにくい様子。

「大丈夫だよね? ちゃんとやってくれるよね?」

 不安で一杯だった。

***

 さて、学校へ向かうために玄関で靴を履いていた。

 今日は冒頭から鬼退治まで一通り、台本を読みながら通しをするという。

 小道具のほうも、小道具班がせっせと作っているため何とか本番には間に合いそうである。

「それにしてもまさか風華さんを駆り出すなんてねぇ」

「涼子先輩」

「やるじゃない」

 いや、それはどうだろう。

 一応風華も何度か寮で台本を読んでいるらしいが。

「にゃー」

 レンが引っ付いていた。

 引き剥がし、振り回してみる。

「ま、頑張りなさいよ。一年生なんだから」

「……」

 頑張るのは一年だけではないのに。

「いってきまーす」

「いってらっしゃーい。あとで教室行くからねー」

 来るのか。

 思わず突っ込みそうになったが、我慢した。

 ここで突っ込んだらまた色々と時間を喰いそうだから。

***

 さて、2年3組。

 ひなたと杏里と和日のクラス。

 3人が教室に入ったとき、まだ生徒は全員集まっていなかった。

「おはよー」

「おーはよ」

 和日と友達が挨拶を交わす。

 踊るのに最適なジャージに着替え、全員揃うのを待つ。

「ひなちゃん、飴あげるー」

 他の女子から飴をもらうひなた。

 イチゴ味の飴だった。

 お礼を言い、ポケットの中の喉飴を渡す。

 こうして物々交換をしていると。

「でさー、昨日のテレビ見たー? ちょーありえないんだけどー」

「あ、その話なら私も見ました。アレは男の人に問題がありますよね」

「でもさ、女のほうももうちょっとどうにかならなかったのかなー」

 雑談に花が咲いてしまった。

 きゃあきゃあと話し続ける。

 徐々に人が集まり、その話に加わっていく。

 そうして気付いたとき、教室はただの喋り場と化していた。

「ねー、そろそろ練習しよーよー」

 一人の女子が言う。

 流石に10時に集まって11時まで喋っていたのでは、何のために集まったのか分からない。

 その声を皮切りに、せっせと準備を進める。

 CDプレイヤーを用意して、CDをセットする。

 皆が並び、CDプレイヤーから流れる音に合わせて踊る。

 そのダンスの中盤。

(ひ、ひな……足が逆よ、逆!)

「え?」

 隣の女子の助言に耳を傾けたのがいけなかった。

 そのまま足がもつれて倒れた。

 顔からまっすぐに倒れ、教室の空気が凍る。

「ちょ、ひなー!?」

「桜井って本当にリズム感無いのな」

 最初から踊ることになった。

 失敗は出来ない。

 何とか今度は上手く踊りぬくことが出来た。

「あとは個人で気になるところを練習してねー。午後の2時から合わせるから」

 そういうことになった。

 ひなたは杏里と数人の女子と組んでいた。

 和日は他の女子と踊りの練習をしている。

「ねぇね、ひなってもしかして踊るの苦手?」

「そうじゃないけど……」

「あんちーも踊るの苦手っぽいよね」

「……うん」

 学園祭の出し物は全員で行って初めて意味がある。

 いまさら照明など裏方ににまわることなどできない。

「あれでしょ、ひなってゲーセンのダンレボ苦手でしょ?」

「ランエボ?」

「ダンレボ、ダンスゲームなんだけど……それで特訓してみたら?」

 それなら時間があるときに手っ取り早く練習できる。

 しかし、ひなたはゲームセンターが苦手だった。

 あの喧騒に満ちた部屋に入るとどうも、頭が痛くなるらしい。

「それだったら家庭用ゲームで出てるから貸そうか? ハードごと」

「でも、それじゃあ悪いですよ」

「大丈夫。最近PS2起動していないから」

 そういう問題なのだろうか。

 とりあえず明日持ってきてくれるという。

 何だか悪い気持ちになったひなただった。

***
 
 さてそんなひなた達の話の中で、こんな話になった。

「ねぇ、ひなー」

「はい、なんでしょうか」

 友達の一人がひなたに声をかける。

 それは皆が前から気になっていたことだった。

「ひなって何で敬語なの? ほら、何て言うか……」

「おかしいですか?」

「いや、おかしいって言うか……前から気になっていてさ」

「あんちーは、気にならなかったの?」

「うん、慣れた」

 何ともたくましい答えが返ってきた。

 何故かと聞かれれば答えるしかない。

 ひなたが口を開いた。

「この口調は、お父さんの影響なんです」

「お父さんの?」

 ひなたの父は母よりも3つ年下の男だった。

 常にニコニコ笑顔を絶やさない、まるで闇を照らす星のように明るかった男。

 名前は星児。

 そんな星児に惚れこんでプロポーズをしたのが、母の紅葉。

 そして生まれたのが、ひなた。

 ひなたを星児と紅葉はかわいがった。

 星児はその生活の中でこう言っていた。

「良い人と言うものはつねに丁寧なものです。ひなたもそれを守るのですよ」

 星児はそういうが、紅葉はあいにくその考えには賛同しかねていた。

 もとよりさばさばしていた性格の紅葉だったので、星児のその考えには理解しがたいものを感じていた。

 それでも彼女は星児を愛し。

 星児は紅葉を愛していた。

 そして二人はひなたを愛していた。

 絵に描いたような幸せな家族とは、まさにこの事を言うのだった。

 しかしそれも、1年後に崩壊した。

 仕事へ向かう途中、星児の運転する車がトラックと衝突。

 その現場である陸橋の上から更に転落。

 トラックの爆発に巻き込まれて、帰らぬ人となった。

 ひなたは泣いた。

 もう人で亡くなった父の肉片を見て。

 幼い彼女にも分かる人の死というもの。

 紅葉が制止するのも振り切って、ひなたは父のそばにいようとした。

 でも、それは叶わず。

 父・星児は天へと昇っていった。

 それからである。

 星児の言うことを守り、常に丁寧でいることを心がけている。

「と、言うことなんです」

「……」

 まさかひなたの口調にそんな理由があったとは知らなかった周りの友人。

「ごめんね、何か……辛いこと思い出しちゃった?」

「いえ、大丈夫です。だって、こうして話をしているだけで」

 ひなたが微笑む。

「お父さんのこと、忘れずにいることが出来るから……」

***

 その後もダンスの練習は続いた。

 最初は躓いていたひなたと杏里だが、回数をこなしていくと自然とリズムに合うようになった。

 どうやらただ単に場数を踏んでいなかっただけのようだ。

 練習が終わって、帰る生徒がちらほらと出てきている。

 ひなたも杏里と帰ることに。

 ちなみに和日は友達と食事に行くといっていた。

「ねぇ、杏里ちゃん」

「ん」

「これからも、よろしくね」

 そういったひなたの顔はどこか寂しげだった。


(第四十話  完)


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