第三十話  杏里と風華

 6月14、日曜日。

「それじゃ、いってくる」

「ん〜、気をつけてね〜」

 真が靴を履く。

 今日は彼方と遥、七海と共に出かけることになっていた。

 決まったのは土曜日の夕方。

 何しろ急だった。

「お土産忘れないでね〜」

「買うのか……」

 半ば呆れつつ、真は寮を出た。

 そのほかの皆はと言うと。

 ひなたは休日返上で部活。

 沙耶は何故か和日と共に買い物に。

 亜貴も休日返上で部活。

 涼子は友達と共にどこかへ出かけた。

 残っているのは風華と。

「ストレイト・スライサァァァァァッッ!!」

 スカイ・ラグーンのビデオを見ている杏里の2人だった。

「……ふーかせんせー」

 杏里がビデオをデッキから取り出すと風華の元に駆け寄った。

 そのまま風華の持つ箒を奪い。

「私も……手伝う」

「杏里ちゃん……」

 風華は何も言わずに杏里に任せることにした。

「ぃよーし、今日はとことんお掃除をしよー!」

「よー」

 杏里はまずは玄関の掃除を。

 風華はリビングの掃除をする事に。

 玄関に並んでいた靴を全て外に出し、ゴミを外に向って掃いていく。

 やはり人が出入りするところ。

 砂埃が酷い。

「っけほ……けほっ!」

 目にゴミが入った。

 手でこするがゴミが出てこない。

 ふと目から涙が零れ落ちた。

 その拍子にゴミも取れたようで。

 杏里は涙を拭くと、玄関の隅を掃き始めた。

 全て綺麗に掃き終え、靴を並べていく。

 ちょっとした満足感が杏里の中にあった。

 そのころの風華は。

「よいしょー」

 リビングの掃除をしていた。

 机の上のテーブルクロスや、イスを端に寄せ。

 掃除機のスイッチを入れた。

 掃除機がゴミをどんどん吸い取っていく。

 快適だった。

「それー、吸い取れ吸い取れー」

 何時になくご機嫌になる風華。

 そんな掃除機の本体にレンが乗っていた。

 掃除機が動くたびに上手くバランスをとっているようだ。

「レンちゃーん……ダメよぉ? ほぉら、おとなしくしてなさーい」

「にゃー! にゃー!」

 が、レンは風華から離れようとしない。

 このままでは掃除どころの騒ぎではなくなる。

 するとレンの小さな体が宙に浮いた。

 杏里だ。

 杏里がレンを抱き上げていた。

「邪魔しちゃダメだよ? あっちいこ」

 レンが大人しくなった。

 どうやら真と風華、杏里には弱いのか。

 杏里のおかげで掃除を再開した風華。

「ありがとうねぇ〜、杏里ちゃん。はかどったわ」

「ん」

「ねぇ、良かったらまだ手伝ってくれないかな?」

***

 二人は2階にいた。

 今日は日差しもよく、絶好の洗濯日和。

 それぞれの部屋の布団を干す事にする。

「それじゃあまずは涼子ちゃんのお部屋からー」

 この人にはプライバシーと言うものが存在しないのだろうか。

 そんなこと、気にも留めていないのだろう。

 杏里と風華で布団を持ち上げ、庭に干していく。

「せんせー、いつも一人でしてるの?」

「うん。これとお風呂の掃除とか終わるころにはすっかりウキウキウォッチングの時間なのよ〜」
 
 10時から始めて、一人ですべてやるのだ。

 そのくらいの時間になるのも無理はない。

 せっせと布団を運んでいく。

 まるで引越し業者のようだった。

「次はー」

 勢いよく風華が扉を開けた。

「しんちゃんのお部屋ー! きゃっほーい!」

 テンションが高くなる風華。

 部屋に入るなり、いきなり布団に横になる風華。

 何をしにきたんだか。

「せんせー……早くしないと」

「はっ、そうだね。ぃよいしょー!」

 布団を持ち上げる。

 段々杏里もなれてきたのか。

 和日の布団を持ち出すころにはテンポが良くなっていた。

「ふぃー、あとは亜貴くんのお部屋だけだねー」

「気をつけてね、ふーかせんせー」

「何を?」

「………あっきー、自分の部屋のプラモ壊されるのキライだから」

「あうー、壊さないよー」

 そういって中に入る。

 中には亜貴の作ったプラモが並べられていた。

 ちゃんとゲート処理もしており、塗装もきちんとしてある。

「へぇー、亜貴くんすごぉーい」

「せんせー、布団……」

 風華が後ろを向いた。

 同時に、プラモからなにやら軽い音が。

「あ」

「ふぇ」
 
 プラモの角が折れていた。

 空気が凍る。

 とりあえず折れたパーツを根元につけてみる。

 手を離す。

 床に落ちる。

 つけてみる。

 手を離す。

 床に落ちる。

「さ、ふとんほそー」

 そそくさと布団を持ち上げる二人。

 亜貴が帰って着たら絶対泣きを見ると思う。

***

 その後杏里は風呂掃除。

 風華は窓拭きをしていた。

 二人で掃除をしていたため、いつもよりも早くに掃除が終わりそうだった。

「ふーかせんせー、お風呂そーじ終わったー」

「ありがとー、杏里ちゃん」

 杏里の頭を撫でる。

 風華も残るは8枚の窓ガラスを拭くだけとなっていた。

 そこで杏里はリビングの椅子に座り、机に突っ伏した。

「ねぇ、ふーかせんせー」

「なぁに?」

「せんせー、施設で働いていた時……どんな感じだったの?」

 風華の記憶が無いときに見知らぬ施設で一人働いていた。

 周りに誰もいなくなったという点では、守られるべき者から虐待を受けていた杏里と同じ境遇。

 杏里もまた、一人だった。

「どんな感じだったかなー……。最近あの施設での事、徐々に忘れていっているみたいなのよぉ」

 記憶喪失の人間の記憶が戻った時、記憶を失っていた時の記憶は一瞬にして消えるという。

 それは脳の記憶の容量が足りないせいだと言う説がある。

 風華の場合、記憶を取り戻しても無くしていた時の記憶はあった。

 それが今になって消え始めたのだ。

「今日ね、せんせーのお手伝いをしたのにはワケがあるの」

「ワケ?」

「うん」
 
 杏里の口からその理由が語られた。

「小さいころから引っ込み思案で、よくいじめられてたの。お母さんが死んじゃって、新しいお母さんが来ても馴染めなくて」

 それ以上、本当ならば風華も聴きたくなかった。

 出来るならば忘れたかった。

 右腕を見る。

 決して消えることは無い、傷痕。

「その時のショックや、その後のことで身体的な成長も止まっちゃって……辛かったの」

 そう言った杏里の声が震え始め。

 風華の手も自然と止まっていた。

「最近私死のうとしたの」

 4月の終わりの事。

 杏里はクラスメイトに傷の事を馬鹿にされ、クラスを飛び出し死のうとした。

 死ねば死んだ母親に会えるから。

 そう語った杏里。

「でもね、そんな時塚原君が言ってくれたの」

 人って一人じゃ生きられないんですよ?

 先輩をいじめるような人がいれば、俺達が守りますよ。

 それが嬉しかった。

「今の自分には皆がいる。そう考えただけで嬉しいの、私……」

 伏せていた顔を起こし。

「守ってくれる皆の役にたちたい。そう思って今日、せんせーの手伝いをしたの」

「そう言うことだったのね」

 風華はバケツの中にぞうきんを放り込み。

 手を洗って杏里の後ろに立って。

 ぎゅっ、と抱きしめた。

「無理、しなくてもいいんだよ?」

「せんせー……」

「確かに守ってくれる人の役にたちたい、って思うのは立派な事よ。でもね、一番大切なこと教えてあげる」

 風華が言う。

「役にたつよりも何よりも大切な事。それはね、大切な人たちのそばにずっといてあげることだと思うの」

 風華の頬に涙が流れる。

 誰の役にたとうとか、そう言う心が前も人間には大切。

 だけど、一番必要なのは大切な人のそばに何時までもいて、その人のことを安心させてあげる事。

 風華はそれが今までできなかった。

 事故にあい、記憶を失い。

 真のそばから何年も姿を消し。

 やっと再会した時には彼はあまりにも成長していて。

「いちばん……辛いのはね、ふぇ……大切な人のそばに……えぐ、いられないことなんだよぉ……?」

「せんせー、泣いちゃだめだよ……」

「ふぇ……ふぇぇぇぇ……」

 思わず泣いてしまう風華と、それにつられてうるうるしてしまう杏里。

 結局二人で泣いてしまった。

***

「ただいまー」

 涼子が帰ってきた。

 現在午前11時50分。

 朝も早くから出かけたため、帰ってくるのも早かった。

「つかれたー……、ん?」

 リビングに入るとまず目に入ったのは、眠っている杏里と風華だった。

 テーブルに突っ伏して、寄り添い眠っている二人。

 こうしてみるとどこか姉妹のように見えてきた。

「……それだと塚原君の立場無いけどねー………」

 そんな二人を起こさないように、涼子は二階へと上がっていった。

 その後も寮の皆が帰ってきた。

 二人は真に起こされていた。

「どうせ寝るなら何もテーブルじゃなくて向こうで寝ればいいのに」

 そう言われた。

 見ると皆、リビングにいる。

 何故か亜貴は半泣きだったが。

 この光景が、ずっと続けばいいのに。

 杏里の口元が、緩んでいた。


(第三十話  完)


 
   トップへ