第十五話  風華と別れの時

「えー、本当なのですか?」

 そう言った風華。

 病室の横のベッドで眠っていたさやかもその声の大きさに目を覚ました。

「どうしたんですか?」

「私、今日退院できるんだって」

「良かったじゃないですか」

 なんとも急な話だが、風華の体に異常が見られなくなった。

 それどころかもうすっかり元気になっていた。

 午後には病院を出る事になる。

「元々検査入院みたいなものだったからねぇ。うー」

「これで風華さんと分かれると思うと寂しいですよ」

 今日は木曜日。

 二人が出会ってから2日しか経っていないのだが、何故か寂しい。

 それほど、二人は親しくなっていたのだ。

「で、退院したらどうするんですか?」

「ん?」

「学校とか、家とか」

 さやかは風華から大体の事情を聞いていた。

 風華が記憶をなくしていたことも。

 施設で働いていた事も。

 何もかも全て。

「やっぱ、家に帰るんですか?」

「ううん、帰んない」

「え……」

 瞬間、さやかは風華の考えが分かった。

 彼女が向う先。

 それは必然的に決まってくる。

「まさか、弟さんの所に?」

「うん」

「それはマズイと思うなぁ……」

「えぇー、何でよぉ」

 猛反発する。

「だって年頃の男の子のところに風華さんが行くなんて……。下手したら悪い噂が立っちゃうかも」

 彼女は知らなかったのだ。

 真が寮生だということを。

 真は一人暮らしをしていると思っていた。

「大丈夫よ」

「その自信はどこから……」

「わたし、お姉ちゃんだもん」

 根拠の無い自信だった。

***

 中間試験まで一週間と迫った今日この頃。

 次第に授業にも熱が入ってきた。

 もちろん真の苦手な地理の授業も。

 今日はアジアについての授業だが。

(わ……分からねぇ……。こりゃマジで中間はヤバイかもしれね)

 何を言っているのかチンプンカンプンだった。

 季節風?
 
 モンスーン?

 何それ。

 全く分かっていない。

 そもそも季節風とモンスーンは呼び名が違うだけで全く同じ物。

 それすらも分かっていなかった。

「じゃあ、塚原。これを答えてみろ」

「分かりません」

 即答だった。

***

 こってりと先生に絞られたあと、真は廊下を歩いていた。

 今日は部活が休みだと聞いた。

 何でも3年生のほとんどが進路関係の指導で集まらず、2年生も修学旅行の集まりで部活に出れないと言う。

 そこで1年生に任せるのも心もとなく、やむなく部活は休みとなった。

「ふーねえの見舞いにでも行くか」

 いい機会だ、ついでに地理のことも教えてもらおうと。

 そう考えた。

「次の授業なんだっけな……」

 4間目は化学。

 移動教室だった。

 ちなみに授業が始まるのは11時50分。

 現在午前11時47分。

「あれー……ミマチガイカナァ? オカシイナァ……。あと3分しかねぇじゃねぇか!!」

 急いで教室に戻る真。

 教科書と資料、ノートを手に実験室へ向う。

 2分ほど遅れてしまったが、先生はまだ来ていない。

 科学担当の木根は時間意はうるさい男。

 もちろん生徒の遅刻など許さないし、自分も遅刻をしたことは無い。

 しかしその木根がいないとは。

 真にとっては幸いだったが、不審に思った。

「なあ、先生は?」

 彼方に尋ねる。

「ああ、今日アレだって。自習」

「……」

 無性に彼方を殴りたくなった。

***

 時間と言うのは気を抜けばあっという間に過ぎていく。

 気が付けば今日も授業は全て終わっていた。

「はっ……! いけね、ボーっとしてたら終わってやんの」

 さっさと教科書をまとめ、寮に戻る。

 既に午後4時。

 寮にいたのは。

「あ、おっかえりー」

 涼子がいた。

「今日もドラマの再放送ですか」

「ん。今日のはショムニよ」

「好きですねー。ドラマの再放送。ふーねえみたい」

「風華さんも好きなんだ。ドラマの再放送」

「ええ」

 ドラマの再放送は見逃した場合など、最初から見たいときなどずいぶん役に立つ。

 風華は夜が弱いのでドラマが放送されている午後9時代にはもう既に眠気に襲われている。

 そう言う意味で風華は再放送がすきなのだ」

「あれー、どこ行くの?」

「病院です。ふーねえのお見舞いに」

「あら、そう? んじゃ、これ。持ってきなー」

 涼子はどこからかみたらし団子を取り出した。

「何でみたらし団子……?」

「それ、本当は今夜の夜食に食べようと思ったんだけどねー。和日ちゃんと一緒に。ただ、お見舞いならば話は別よ。持ってきな」

「良いんですか?」

「そりゃあもう。また買えばいいんだし」

「ありがとうございます! 涼子先輩! んじゃ、行ってきます!」

 ダラダラと手を振る涼子。

 そしてポケットからメモ帳とペンを取り出した。

「貸し、1っと」

 彼女が普通に物をくれるなど事などなかった。

***

 涼子からもらったみたらし団子を下げ、真は病院にたどり着いた。

 エレベーターで4階に上がる。

 病室のドアを開けるとそこには。

「あれ?」

 いない。

 風華がいなかった。

 その隣のベッドには見知らぬ女の子が半身を起こしていた。

「あの、ここにいた人は?」

「さっき退院したけど……」

 手違いになってしまった。

 何も言わずに退院するとは、風華らしくない行動。

「あの、もしかしてしんちゃんさん?」

「はい?」

「いえ、よく風華さんがしんちゃん、しんちゃんって言っていたから」

 どこまで彼女は話したのだろう。

 へんなところまで話していなければ良いのだが。

「あの、どこに行ったか分かりますか?」

「ううん、知らない」

 まあ大体の見当は付いているが。

「そうですか、ありがとうございます」

 真は病室から出た。

***

「あーあ、やっぱり風華さんがいないとなんか暇ねぇ……」

 さやかがため息をついた。

 ボーっとしていた時、病室のドアをノックする音が響いた。

「はい、どうぞー」

 ドアを開けて入ってきたのは、長身の女の子だった。

「お………お姉ちゃん!?」

「元気そうね、さやか」

 姉と呼ばれたその人は風華のいたベッドの上に座った。

「どうしてこの町に?」

「ん? お父さんの転勤の都合でね。ついでに転校する事になったの」

「どこに?」

「確か……蒼橋学園って学校」

***

 真はプレハブ施設にいた。

 風華が来るとしたらまずはここだろうと踏んだ。

 そもそもそんな考えが何故浮かんできたかは分からない。

 真っ先に浮かんだのがこの施設だったから。

 今日も外では多くの子供達が遊んでいた。

 するとボールがこちらに飛んできた。

 ボールを拾い、走ってきた少年に渡す。

「あー、火事の時に来たお兄ちゃんだ!」

「あの時の!」

 施設が火事の時、風華と一緒に背負ってきた少年がいた。

 するとわらわらと真にたかり始めた。

 何で自分はこんなに懐かれているのだろう。

 思わず首をかしげる。

「しんちゃん?」

 ふと、プレハブの入り口から声がした。

 風華だ。

 足元には旅行などに持っていくようなボストンバッグが置いてある。

 そのボストンバッグは以前、親が風華の修学旅行のときに買った物。

 そして事故に会ったあの日、風華が持っていたカバン。

「ふーねえ、退院したんだってね。同室していた人から聞いたよ」

「あー、さやかちゃんのことね」

 風華は言うと同時にボストンバッグの取っ手を持った。

「それでは、お世話になりました」

「気をつけてね、塚原さん」

「はい!」

 元気に返事をする。

 そういった彼女の顔はどこか寂しそうだった。

 真は風華についていった。

 と、言うよりも彼女が真にちょっと来てと言ったのだが。

 真が風華に連れられて向かった先は川原の土手だった。

 そこの斜面に座り込む。

「ふーねえ、施設やめるんだ」

「うん。あそこで働いていたのは今の私じゃないから」

「でも、続ければ良いのに」

「今の私じゃ無理だよぉー」

 空を見ると日が落ちかけていた。

 茜色に染まる空。

 夕日が風華と真の顔を照らす。

「…………………私ね、家に戻ろうと思うの」

「今から?」

「うん。だからこうして話すのは当分無理だと思うの」

「そっか。だからそのボストンバッグ……」

 その中にはサイフや衣服などが入っている。

 施設にいたとき、子供達の服と一緒に洗っていた。

 施設は制服だったため、ボストンバッグの中の服を着ることはめったに無かったが。

 それでも必ず洗わなければならない気が彼女はしていたのだ。

「不思議よね。私、施設で働いていた時の事は覚えてるの」

 涙が溜まり。

「どれだけ心配かけたんだろう、私」

 涙が流れる。

「だからね……しばらくはしんちゃんに会えないの……」

 なんだか風華が遠くへ行ってしまうようで。

 突然消えてしまったあの時のように。

「だからね、泣いちゃ……だめなんだよぉー?」

「分かってるよ。てか、ふーねえが泣いてるじゃん」

「ふえぇ……泣いちゃぁ、だめ、なんだからぁ……」

 今まで抑えてきたのだろうか。

 記憶をなくしていたときも、心のどこかで本能的に抑えていたの想いが。

 涙となって流れる。

「泣いても良いと思うよ?」

 そう言ったとき、何故か真の目にも涙が溜まっていた。

「泣きたい時に泣くのが、俺たち人間ってもんでしょ? ふーねえはただでさえ泣き虫なんだからさ。我慢してたら、体に悪いよ」

「じんぢゃん……」

 鼻声で名前を呼ぶ。

「別にさ、ずっと会えないってわけじゃないでしょ。夏休みになれば俺が帰るからさ。その時、また話し相手になってよ。遊ぼうよ、ふーねえ」

「うん」

「だから今は泣きたいだけ泣けばいいんだよ? 俺が全部受け止めるからさ」

「ふ……ふえ、ふえええええええええええええええええええええええええっ!!」

 風華の頭を撫でる。

 どっちが年上なのか、本格的に分からなくなった。

***

「えー、じゃあ風華さん、実家に帰っちゃったんだ?」

「もう親に心配かけたくないからって」

「家族思いの良い姉じゃないか、真」

 風華を見送って寮に戻った時、皆揃っていた。

 真はいきさつを話していた。

「泣くわわめくわで、大変なったんですから」

「………私、分かる気がする。風華先生、泣き虫だから」

「あはは……それ、俺も言いました」

「でも」

 ひなたが言う。

「これで寂しくなりますね」

「そうねぇ。何だかんだ言って風華さんのお見舞い、楽しかったしなぁ」

 さくら寮の皆にとって、風華は既に寮の一員になっていた最中の帰省。

 真にいたってはまさに心に穴が開いた状態。

「ごちそうさま」

 真が食器を片付ける。

 涼子が面白い番組あるから見れば、と誘うが。

 真は断った。

 一人二階の自室に戻る。

「ふーねえ……」

 辛い。

 会えるのに会えないと言うこと。

 やはり真もまだまだ15歳。

 何だかんだ言っても風華に頼っている所があるのだ。

 そのまま彼はベッドに倒れこんだ。

 5月9日の木曜のことだった。


(第十五話  完)

 

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