〜第33章 熾天の流星〜

深い、深い黒だった。
その場所を包み込むその漆黒の色は、溶け込む意識すらも黒く染め上げてゆくかのようだ。
それは闇というのだろうか。いや、強いて言うならばそこにあるのは『無』。
光や闇という概念すらも、最早存在しない世界。
そんな世界に溶け込みながらむしろ心地よく眠りにつこうとする一つの意識があった。
しかし、その意識に向かってただ、ただ、一つの声がこだまする。

『イイノカ。』
「なにが・・・? 」
『コノママデイイノカ? 』
「・・・・もう、どうでもいい。」
『ソレハ、ウソダロウ? 』
「本当さ。オレにはもう、残されたものなんてない。」
『オマエニハ、キボウガミエルハズダ。』
「ないね・・・。すべてを絶望の中においてきたんだ。そんなものは見えないし、見る資格もない。・・・・・・・そうさ、オレにはもう、何も見えない。」
『ソレモ嘘ダ。オマエニハミエルハズ。ミエナイヨウニシテイルノハ、オマエノ心ダ。』
「何を、馬鹿なことを・・・。」
『思イ出セ。オマエヲ必要トシテイルモノタチノコトヲ! ソシテ、見極メロ。オマエニタスケヲ求メテイルモノタチノ、『光』ヲ!! 』

何もないはずのその世界に、4つの光が現れる。3つは酷く懐かしい光。
しかしその光の輝きはあまりに儚く、もう一つの大きな光に今にもかき消されそうであった。

『このままでいいのか? 』
「オレは・・・・・。」



「なんで!! なんで動かないのよ!! このポンコツ!! 」

タケミナカタのMSドックのデッキの上で、エリスがイザナギの閉ざされたコクピットハッチを外側から乱暴に蹴り飛ばす。

「ブリフォー達が必死に戦っているのに、私はまた!! 」
「くそ! こうなったら、ボクがツクヨミで出るしか!!! 」

エリスの横にいたディノが傷ついた愛機に向かって駆け出そうとする。
しかし、その足は止まってしまう。
言葉をなくし、ただ、たたずむ二人の前で、その神を超越した機体の禁断の扉が開かれた。

「うそ・・・・でしょ? 」「・・・・お、おい。」

究極の夫神の3つのカメラアイに光が灯る。
そして、色無き鉛色をしていた機体が、鮮やかに光を放つ輝きを帯び始める。
そして、コクピットに響く2つの声。

「・・・やっぱり、アモンさんでしたか。」
『当然さ。でもおまえなあ、AIのオレにシステムを超えた事をさすなよな? 』
「頼んではいませんよ。」
『・・・かわいくないな。せっかく新しい相棒に案内してやったってのに。』
「? これ・・・スサノオじゃないんですか? 」
『・・スサノオは今眠っているよ。お前を守ってな・・・。』
「・・・そうですか。あの時・・。」

少年は、最愛の人から放たれた最後の光を思い出す。

『スサノオが守ったのは、お前だけじゃない。リトちゃんもだ。』
「え? 」
『彼女にお前を殺させないためにもな。・・・オレ達は事情をまだ知らない。でもな・・・・彼女を救えるのもきっと、お前だけだと思うぞ。』

例え気休めだとしても、男のその言葉に少年は心の底から救われたような気がした。
そして、少年は言葉をつなぐ。

「・・・アモンさん、お願いがあります。・・・力を貸して・・いえ、共に戦ってくれますか? 」

少年の問いに、男は答える。

『・・・お前はオレにとって弟子みたいなもんだぞ? お前のためなら、神にだって悪魔にだって・・・失った目にだって、何にだってなってやる! このオレも、そしてこのイザナギも! ・・・・・簡単さ!! 』

盲目の少年はそのまだ傷の残る瞼を閉じたままで微笑した。
そして、思い出すかのように古武術の呼吸で精神を統一させたその少年の言霊が祝る(のる)!

「コウ・クシナダ、イザナギ、参る!! 」

ディノ達の手によって開かれたタケミナカタのカタパルトハッチから、輝く夫神が空へと舞った。

ガルダが、「え・・・。」
ハウメアが、「何や!? 」
レヴィンが、「あれは!!? 」
ユガが、「だ、誰!? 」
マナが、「まさか・・」
シュンが、「でも! 」
サユが、「もしかしてっ!! 」

マヒルが、「よーっし!! 」
ティルが、「いっけぇ! 」
ナターシャが、「光が、見えます・・・!」
ディノが、「・・・無茶してさ。」
そしてエリスが、「頼んだわよ! 」

イザナギの背部に無数の光が輝き出す。
それは空を焦がす、熾天の光。
その熾天の光が爆発し、まるで流星の尾のように伸びてゆく。
いや、伸びていったのは輝く夫神。
クロウリー・オセの空間干渉技術を応用した亜光速加速システム≪アメノトリフネ≫が前方の空間を圧縮し、後方の空間を爆発的に膨張させたのだ。そして、その青く輝く光の尾を背負い、イザナギが文字通り空を越える!

「俺がドラマ見れなくなっちゃう報いは・・・受けてもらうぜぇ!!! 」

「ブリフォー!! 無茶だ!! 逃げろぉぉ!! 」
「いやああ、ブリフォー!!!! 」

変わり果てた蒼き魔神の体に無数の禍々しい大蛇のような光の雨が降り注ぐ。

「フルーシェ・・・オレはぁ!!! 」

ザナドゥの正面に、その輝く夫神は舞っていた。

不規則な軌道を描きながら蒼き魔神の全てを焼き尽くそうと迫る≪ヤオオロチ≫の無数の光。
しかし、その荒れ狂う大蛇の群れは従うかのようにイザナギの左腕に吸い込まれてゆく。
エネルギー吸収変換防盾≪オノゴロ≫はその全ての蛇を一箇所に集めながら飲み込み、そしてそれに呼応するようにイザナギの胸部が一際強く輝き始める。

メイズが、「・・・おお。」
メリリムが、「す・・・ごい。」
ブリフォーが、「・・・お前・・・なんで!!」

仲間達の声が、一つに響く。

「「「「「「「「「「コウ!!!!!! 」」」」」」」」」」

「ブリフォー、メイズ、メリィは艦に戻れ!! 」

まごう事なき勇者の声が通信に響き、マステマ、イカロス、ザナドゥ・ヒュドラスのコクピットはにわかに活気立つ。

「・・すまん! 」「でも・・・。」「大丈夫なのか!? お前!! 」
「いいから戻って! よくは分からないけど、多分、もうすぐだ! 」

その時だった。タケミナカタのブリッジとマステマ達のコクピットにムサシからの通信が入る。

『待たせたな! サタナキア少佐! タケミナカタの打ち上げ準備、完了した!! これより発進シークエンスに移りたい!! 』
『了解です! メイズ、メリィ、ブリフォー、聞いての通りよ! 艦に帰投を! それと・・』
「オレは、こいつを牽制してから行きますから、構わず発進してください。じゃないと、狙い撃ちされる! 」
『で、でも! 』
「大丈夫です、マナさん。今のオレとこのイザナギなら・・・できる気がしますから! 」
『わかったわ。お願いね!! 』

マステマ達は、満身創痍の体を元来たタケミナカタのドックの中に戻してゆく。

「あの3機、マスドライバーの方へ向かって・・・! って事はもしかして、タケミナカタを打ち上げようって事か・・。それはさすがに困るんだよな!! 」

追いすがろうとするカグヅチの正面に胸部を光り輝かせるイザナギが立ちふさがる。
そして、≪オノゴロ≫で吸収した≪ヤオオロチ≫のエネルギーが、胸部エネルギー砲発生型結晶装甲≪アメノヌボコ≫からお返しとばかりに発射された!
高収束されたビームの光がカグヅチの右足を貫く!
そして、イザナギは両肩から二振りの刃型の柄を取り出すとそこから偏光型ビームブレード≪フル≫の光刃が発生する。

「邪魔するなら、オレが相手をする! 」

輝く光の尾と二本の刃を構えるその夫神の姿に、カグヅチは動きを止める。

「なんだよ・・・アイツが動けるなんて、俺聞いてないぜ!! まったく、面倒だなあ!! 」

それでも、イオはカグヅチを引かせようとはしなかった。
むしろそのハプニングを楽しむかのように、イザナギに通信を送る。

「俺はイオ・アステリアってんだ。あんた、イザナギに乗れるなんてすごいね〜。名前、なんての? 」
「・・・コウ・クシナダ。」

その名を聞いたとたん、イオはケラケラと腹を抱えて笑い出す。

「何かおかしいのか? 」
「はあ、はあ、おっかしーに決まってんだろ! だって、あははは・・・リトお嬢さんが殺したと思ってたヒトが生きてたってんだぜ? お嬢さん、さぞ怒り狂うだろうなあと思うとさあ! あっはっはっはっはっは!!! 」
「! ・・・リトを知っているのか!!? 」
「あはははは、知ってるさ。よ〜くね。あ〜、楽しかった。おしゃべりはここまで。・・・仕事しなきゃね! 」

カグヅチのカメラアイが輝き、イザナギに両腕の腕部内蔵型ビームプロミネンス放射装置≪ホムラノトイキ≫から高熱のビームプロミネンスを放射する。

『コウ! 』
「ええ、今は・・・みんなを守る! 」

怯むことなくビームプロミネンスの猛火の中に突っ込んだイザナギは、両手の≪フル≫でそのエネルギーの炎を斬る様になぎ払い、カグヅチに迫る。

「残念賞! これでもくらいな! 」

その瞬間、カグヅチの胸部から胸部2連型複列位相エネルギー砲≪ホノカグラ≫の光が、至近距離で刃を振り切ったイザナギを狙い撃つ。

キィィィィン!

その時アモンのSEEDがコウの瞳無き心の眼に弾け、≪アメノトリフネ≫の輝く尾が一瞬にして天に熾えるような軌跡を描いた。
≪ホノカグラ≫が発射されるより早く、2本の≪フル≫がカグヅチの胸部をすれ違いざまに斬り裂く。

「わあっ! くっそ〜。やっぱ速いよなぁ、俺一人じゃきついかもな・・!! という事は・・・。」

カグヅチはその体の向きを変えて、ある方向を目指して加速してゆく。

「とりあえず、マスドライバー壊しとこっか!! 」


『リューグゥ周辺の気象データは全て許容範囲内。風速6.1。タケミナカタへのデータ、入力完了。発進シークエンス、委細省略。オールシステムズ、ゴー。タケミナカタ、発進どうぞ! 』

「イズモ級3番艦タケミナカタ、発進!! 」
「行きます!!! 」

マナの掛け声とユガの操縦と共に、クルー達を乗せたその母艦がマスドライバーのレールの上を疾走し始める。
そして、そこにせまる、真紅の神。

「お! タケミナカタ発見! とりあえず、忘れ物だよぉぉ!!! 」

カグヅチの両肩から50連装誘導プラズマ砲≪ヤオオロチ≫の荒ぶる光がマスドライバー目掛けて迸る。
気が高ぶっていたのであろう。捕獲するという事も忘れ、その無数の光は蛇のようにうねりながら滑走するタケミナカタの元へと空を駆けた。

「アモンさん!! 」
『ち・・3度目か!! でも、仕方がない!! 』

再び、イザナギが熾天の尾を空に描く。
その熾天の流星はカグヅチはおろか、≪ホノカグラ≫の50匹の蛇をも追い越して、タケミナカタに瞬時に着艦した。
そして、エネルギー吸収変換防盾≪オノゴロ≫を構え、全ての荒れ狂う蛇達を左腕に吸引し、≪アメノヌボコ≫の光に変えて胸部からカグヅチに向けて斉射する。

加速していたカグヅチは回避する事もできずにその光線を頭部に被弾した。

「わ! 見えないや。サブカメラってどこだっけ? 」

動きの止まるカグヅチを後にして、タケミナカタがマスドライバーを駆け昇り、空へと飛んだ。

『今だ! てぇ! 』
「クールにいくぜ!! 『ローエングリン』発射っっ!!! 」

レヴィンの手で発射された4門の陽電子破城砲≪ローエングリン≫によってポジトロニックインターフェアランスが引き起こされ、タケミナカタは天高く加速してゆく。
フルーシェを助けるために、無限の宇宙(ソラ)へ向かって!

サブカメラが起動したカグヅチが空を見たときは、すでタケミナカタは小さな光になっていた。

「あ〜あ、逃げられちゃった。でも、ま、仕方ないよね〜。イザナギがでてくるんだもん。さて、リューグゥもまだ使えるわけだしこのまま帰ろっかな。・・サグメ、ドラマ録画してくれてないかな〜。ないよな〜、やっぱ。」

そんなのんきな事を言いながら、カグヅチはリューグゥを後にした。



「意気揚々と出ておいて、この様か! サグメ! 」

イソラ研究所に戻ったイオの報告を受けたコトアマツカミ達の中でもロンドの怒りは尋常なものではなかった。
それを気に留めることもなく、イオはサグメの横でニコニコと笑っている―どうやら、意外にもドラマの方はサグメが録画をしてくれていたようだった。
サグメは何も文句を言わず、ただ主神であるマクノールのホログラムに平伏していた。
しかしひれ伏したその表情は、いたって冷静なものであった。

「申し訳ございません、主神。しかし、よもやイザナギが起動するとは思いませんでした。」
『驚く事ではない。アレは乗り手を選ぶ機体ではあるが、ケインとアリアの息子、コウ・・・・あの『ハーフ』の少年なら選ばれる資質としては充分だろう。まがい物のディノなら無理でもな・・・。』
「・・・そんな事はどうでもいいわ! 」

サグメとマクノールの会話を遮るようにつぶやいたのは玉座に腰掛ける一人の少女だった。
少女は薄紅色の着物のような衣を身に纏っており、普段は後ろで結わっている肩口まで伸びる髪をそのまま下ろしていた。
その表情は、いつもの優しさと愛らしさを微塵の欠片も感じないほどに憎悪に満ちてゆがんでいる。

「なんで、・・・なんでコウが生きているのよ!! あいつは、私が殺したのに!! ・・・シートさんを殺したあいつが生きて、なんで!!! 」

立ち上がり叫ぶリトを見て、「やっぱり」とイオがくすくす笑う。
リトがイオをキッと睨みつけ、一触即発の空気になる中でサグメが歩み出て進言した。

「ご安心ください、リトお嬢様。彼らの行く先の見当はついております。おそらくは、ディナ・エルス。そこに向かえば、再び彼の始末もできましょう。」
「ディナ・・・・・・エルス・・・・!! 」

リトの表情が少しだけ和らぐ。
ケットシーがサグメに問う。

「ヒヒっ、ザグメよ。何を根拠に言ってるのかね? 」
「・・イザナギにまだ搭載されていないモノがあるんでしょう? 私の目は節穴じゃなくってよ、ケットシー。」
「! 」

ケットシーはそのまま押し黙る。
そして、オーソンがサグメの横に歩み出た。

「主神、それにリトお嬢様。ひとまずは、プラントに参りましょう。」
『プラントだと? 』
「はい。『残念ながら』タケミナカタは奪われてしまいましたが、こんなこともあろうかと、私の方で『予備』の艦をプラントにて用意しておりました。ヴィクトリアへ行けば宇宙用の輸送艦もマスドライバーも使えるように手配してございます。ただ、パナマを失った連合軍が再度奪還を狙っているとの情報もございます故、恐れながら急を要するのですが・・・。」

オーソンはロンドの方をちらりと見て微笑を浮かべる。
ロンドはそれに歯軋りをして睨み返した。

『そうか・・・。素晴らしい働きだ、オーソンよ。では、我々も行くとしようか・・・・ソラへ! 全ては、我々の真なる神の世界のために!! 』

「「「「「はっ! 」」」」」

人知れずうごめく深い『闇』もまた、先立った『光』を追って宇宙を目指す。



「まったく、いつも無茶をしますね。コウさんは。」

タケミナカタのCPU室で、再び溶液の入ったカプセルに入れられたコウをナターシャが心配そうに見つめていた。
いや、その部屋にはパイロット達が全員集まっていた。

タケミナカタが無事に大気圏を突破して地球の重力圏を抜けた後で、操縦士のレヴィンとユガ、そしてCICとして一人残ったガルダ以外のクルー全員はブリッジを抜け出して急いでMSドックに駆けつけた。
ハッチを開いて着艦したはずのイザナギを待ったが一向に帰投する様子がなかったので、ティルがクラウディカデンツァを発進させて様子を見に行った。
もしかしたら、振り落とされてしまったのかもしれない。そんな不安を胸に初の宇宙に出たティルは意外にもあっさりイザナギの姿を発見した。
しかし、PSは展開されているようだがピクリとも動かない。クラウディカデンツァに抱きかかえられながら帰投したイザナギのコクピットは以外にもすんなりと開いた。
皆の見守る中、ディノが中に踏み込むとその席ではコウが意識を失ったままうなだれていた。
グラーニャの指示で急いで医務室に運び込まれたコウは絶対安静の状態となり、再びカプセルの中へと入れられたのであった。
骨や内臓に多大な損傷はないものの、本来ならまだ意識すら戻せないほどの大怪我である。そのコウが見えない目で体を引きずりながらイザナギに乗り込み、あそこまでの戦闘をこなしたという事実は皆の心を大きく揺さぶり、涙を流す者もいた。
自分達のためにこうまでして戦ってくれたこの盲目の少年に、皆感謝した。

「でも、急にイザナギの前にコウが現れたときには驚いたわ。」

エリスの言葉をディノがつなげた。

「確かにね。あれはさすがのボクも驚いたよ。・・・ボクも4年後にはああなるのかと思うと・・。」

その言葉にエリスが真っ赤になって怒鳴り散らす。

「ディノ! そっちじゃないわよ!! イザナギの事よ!! もう! 」
「どういう事です、エリス? 」

メリリムがあたふたするエリスにしたその質問には、ディノが答えた。

「コウがイザナミのところに来たとき、あいつ、何も着てなかったのさ。だから・・・」
「わーーーーーーーーーー、もうその話はいいでしょ!!! 」

耳まで真っ赤にするエリスを見て、その場にいたメイズ、ブリフォー、メリリム、ティル、ナターシャは全員こう思った。
見たな・・・・と。

「・・・だが、コクピットで気絶していたコウは服を着ていたようだが・・。」
「それは、あのイザナギの正装よ。メイズ君。」

メイズの問いに答えたのは、部屋に入ってきたグラーニャだった。

「正装? ってどういうことっすか? 」
「あの片袖の着物のような服は、コトアマツカミが作らせた『メオト』のパイロット用の衣服ね。要はイザナギ、イザナミのパイロットを神聖な存在として祭り上げようとしていたんでしょう。実際はパイロットスーツを着るはずだけど、その服がどういうわけかコクピットにでもあったんじゃないかしらね。それよりも・・・。」

グラーニャは全員を見渡して言った。

「あなた達はこんなところで油を売っていてもいいの? ブリッジとMSドックではみんな必死になって作業しているっていうのに。特にナターシャ! あなたはメカニックでしょう? しっかりしなさい。」
「は、はい。お母さん。・・・ごめんなさい。」

そう言うとしゅんとなったナターシャはその部屋を急いで出ていった。

「あ、こら! ナターシャ・・・。ふう、行っちゃったか。仕方のない子ね。ディノ君、悪いけどこれをナターシャに渡してくれるかしら? 」

そう言うとグラーニャはディノに紙袋を手渡した。

「これは? 」
「あの子の作業用グローブ、だいぶくたびれて穴が開きかけているでしょう? ちょうど、会ったら渡そうと思っていたのよ、これ。」

ディノが紙袋の中をのぞくと、そこには新品のグローブが入っていた。よく見ると手縫いの刺繍でナターシャのイニシャルが小さく入っている。

「・・・わかったよ、グラーニャ博士。渡してこよう。柄じゃないけど、あんたの気持ちもそれとなく伝えておくよ。」
「悪いわね、ディノ君。お願いね。」

ディノはそのままMSドックに足を運んだ。
エリスはそんなディノを見て目を丸くして驚いた。ネブカドネザルで会った頃のディノとは別人のように見えたのだろう。
だが、これが本来のディノなのだろうな、とエリスは納得した。

「さあ、あなた達も自分のMSの整備を手伝ってきなさい? 働かざる者、食うべからずよ。」

すると、メリリムが突然くすくすと笑いながらおもむろにブリフォーに話しかける。

「そういえば、ブリフォーはほとんどずっとフルーシェちゃんのトコにいますよね。もしかして、やらしい目で見てるんじゃないでしょうね? エリスみたいに。」
「だ、「誰が! 」「誰がよ! 」」
「ふふっ、冗談です! 」
「・・・フッ。」
「アハハハ! 」

真っ赤になって必死に否定する2人を見て、メリリムもメイズもティルも笑いながらMSデッキへと向かい、その部屋を後にする。エリスとブリフォーも無言で顔を見合わせて後に続いた。
その時、ブリッジではシュンがレーダーに何かを捉えていた。

「艦長、レーダーに熱源反応! 恐らく戦艦クラスと思われます! 距離850、イエロー18マーク26、ブラボー! 」
「データ照合により、機種特定や。地球連合軍130m級護衛艦・セレネと確認! 」

ハウメアの特定した艦の名を聞いた戦艦マニアのレヴィンが口を開く。

「セレネって月基地の艦じゃないか。ノースブレイドの。」
「ノースブレイド!? それ、本当っ!? レヴィンさん!! 」

突然サユが立ち上がった。

「あ、ああ。それが本当にセレネなら、そのはずだぜ? 」
「なんや! ウチの特定が間違ってるとでも言う気かいな! レヴィン! 」
「本当なんでしょうね! レヴィンさん!! 」

何がなんだかわけも分からず二人の美少女から責め立てられるレヴィン。
すると、シュンが通信をキャッチした。

「艦長、その艦から通信です! 」
「モニターにつないで、シュン。」

すると正面のモニターに、一人の男の姿が映し出される。

『私は地球連合軍第11月面戦隊ノースブレイド基地所属、キスク・レミエル大佐と言う。ノースブレイド基地統括、アガレス・セクンダディ中将の命によりやってきた。』
「セクンダディ中将の? 」
「セクンダディって・・・あの『黒兎』!? 」

シュンは驚いた。

黒兎(くろうさぎ)、アガレス・セクンダディ―。
月基地の誇る勇であり、艦隊を率いて月面基地プトレマイオスの護衛・防衛に努めてきた。
かつて、月の裏側であるローレンツクレーターに拠点を構えたザフト軍との境界線であるグリマルディ戦線での戦いにおいては艦を率いるだけでなく、なんと高齢ながらガンバレル搭載型MAメビウス・ゼロの試作機の初パイロットとなった。黒塗りのそのメビウスの素早さと能力をザフト軍は恐れ、畏敬と皮肉を込めて黒塗りの月の兎、『黒兎』と呼んだ
―兎とは『地球軍月基地に飼いならされた犬』、のような意味であろう。

エンデュミオンクレーターでの攻防戦以後、ザフトは月面を放棄したため、そこには新たに地球連合軍の新基地が建設される事となった。
最新の技術によって作られたその新基地はノースブレイドと名づけられ、英雄であるアガレスが統括する事となったのである。
余談ではあるが、このノースブレイド基地を設計したのはコウの父、ケインである。
また、アガレスは『青雷』の異名を持つマクノールの妻、ミコトの父でもあった。

マナは、モニター越しにキスクに話を切り出した。

「具体的にどのような用件なのでしょうか? 私達は何も聞いていないので、教えていただきたいですわ。」
『私も詳しくは聞いていないのだが、ザガン准将からの依頼があったようだ。そちらに搭載されている破損したMSを回収させてもらい、我々月基地の方で急ぎ修理せよとの事らしい。艦での修理は限界があるだろうし、ディナ・エルスに着いてからの修理にしても数が多ければ効率が悪いだろうからね。こちらで今から着手すればかなり早くに完修できるだろう。』

早速、マヒルとナターシャ、そしてパイロット達がブリッジに呼ばれた。
そして、回収してもらうMSについて相談をする。
そうはいっても、すでにイザナギ以外のすべてのMSが破損している状態であった。
そこで、予備パーツを使って既に大半のパーツ交換を完了しているアマテラスと、宇宙空間ならなんとか行動が可能であろうクラウディカデンツァをタケミナカタに残すことになった。
問題は残りのMSであった。
ディノがどうしてもディナ・エルスには行きたいと進言したためである。
母に会いたいということもあったが、実際はコウのことが心配だからであった。ディノは口が裂けてもその事は言わなかったが。
だが、キスク達が気を利かせてツクヨミの予備パーツを持ってきてくれていたので戦力的にも強力な『ミコト』であるツクヨミを残すことになり、残りの中破以上の状態のマステマ、イカロス、ザナドゥ、月式、スサノオは予備パーツと共にセレネに乗せられる事となった。
マナが「5機も預けて大丈夫でしょうか。」と尋ねたがキスクは笑って快諾し、「最新の技術を有するノースブレイドの優秀なメカニックにかかれば、10機だろうとすぐだよ。」と大げさに答えた。
元ザフトの面々の来訪も、別に問題ないとの事だった。
極一部ではあるが、ノースブレイドの主要な人間たちは今回のコトアマツカミの一件とタケミナカタの目的についてバルバトスから既に話を受けていたためである。

「ザナドゥは預けてもいいが、オレはどうしても残りたい。・・・頼む。」

ブリフォーはマナに頼んだ。マナが答えるよりも早くに答えたのはメイズとメリリムだった。

「・・・ザナドゥはオレ達に任せろ、ブリフォー。」
「きっちり、直してもらってきます。だから、フルーシェちゃんを見ててあげて、ブリフォー。」

「仕方ないわね。フルーシェの目が覚めたとき、あなたがいた方が喜ぶだろうし。いいわよ、ブリフォー。」
「ありがとう、メイズ、メリィ、それに艦長さん。」
「それと、ナターシャはどうする? 」

マナのその問いに、ナターシャは即答した。

「私はノースブレイドに行きます。こちらから指示できるメカニックが一人行ったほうがいいと思いますし、月式は私が一番詳しいですから。」
「おい、ナターシャ。でも・・・ディナ・エルスにはキミの父親のラウム博士もいるんだぞ。いいのかい? 」
「いいんです、ディノ。すぐにまた会えると思うし、私はお母さんにも会えましたから。代わりに、ディノが会ってきて下さい。私は、月式を直しますから。」
「・・・・。そ、そうか。すまない。」

ディノはすまなそうに答え、ナターシャはそんなディノに微笑んで返した。

「偉いわね、ナターシャ。お父さんもきっと褒めてくれるわよ。」

そういうとグラーニャはナターシャの顔を自分の胸にうずめるようにして優しく抱き締めた。

「お、お母さん。・・・・行って来ます。コウさんと、お姉ちゃんを頼みますね。」

そんなほほえましい光景を見ているクルー達にキスクが話を切り出した。

『どうやら決まったようだな。回収するMSの代わりに、と言ってはなんなのだが、こちらからもMS2機とパイロットを貸し出そうと思っている。二人とも最近正式なパイロットになったばかりだが、機体の性能もパイロットの実力も一級品だ。セクンダディ准将のせめてもの気持ち、だそうですよ。グラーニャさん。』
「そうですか。アガレスさんがそんな事を・・・。ありがたくお受けしましょう、マナさん。中将にグラーニャが感謝していたと伝えてくれるかしら、レミエル大佐。」
『承ろう。では、回収作業をさせてもらった後にそちらに2名を派遣する。』

タケミナカタから5機のボロボロのMSがその月基地のMS達の手で運び出され、小型の作業ポッド『ミニミストラル』で、メイズ、メリリム、ナターシャの3人はセレネへと乗艦し、一路ノースブレイド基地へと向かった。

搬送作業をしてくれたその2機のMSが、タケミナカタのMSドックに帰投する。

一機は白と青を基調とする機体。しかし、巨大なV字のブレードアンテナだけは燃えるような真紅に染められている。
もう一機は、美しい藤色の機体。ところどころに銀色のパーツが輝き、右腕にはビームサーベルを内蔵した盾を装備している。

そのノースブレイドの誇る最新のMS2機からパイロット達がそれぞれ降りてきた。
クルー達 ―やはり、レヴィン、ユガ、ガルダ以外の― が出迎える中、おもむろに、パイロットスーツのヘルメットを取るとそこに現れたのは、2人の少年の顔であった。

藤色の機体のパイロットは、肩口まで伸びた翡翠色の長い髪を後ろで縛っている。アメジストのような輝きを湛えたその鋭い瞳は彼の芯の強さを表しているかのようである。

白と青の機体のパイロットは、程よく伸びた黒髪に黒の瞳。その優しそうな涼やかな容姿は、何故だろうか、何処かで会った事のあるような印象を皆に与えた。
しかし、そんな疑問を皆が感じたのも一瞬の事であった。
一人の少女がその黒髪の少年に抱きつき、そのまま泣き始める。

「フエーン!!! 会いたかったよぅ!!! 元気だった? 風邪とかひいてない? 」
「ね、姉さん! ・・久しぶり。相変わらずだなあ。」
「「「「「「「サユの弟!!? 」」」」」」」


青の軍服に着替えなおした月基地の2人は、ブリッジにて改めてクルー達に自己紹介をした。

「第11月面戦隊ノースブレイド基地所属、フエン・ミシマです。階級は少尉です。よろしくお願いします。」
「同じく、デュライド・アザーヴェルグ。階級は中尉だ。よろしく・・・。」

全員が自己紹介をする中、サユはいつも以上に愛らしい満面の笑みを浮かべながらオペレーター席でそわそわとしていた。
そして、一通り挨拶が済んだのを見計らってフエンに腕を絡ませて引っ張ってゆく。

「フエン! おなか減ったでしょ? お姉ちゃんがお昼ご飯作ってあげるから、食堂行こっ! 」
「ね、姉さん!! 」
「・・そういえば、フエンもオレも朝から何も食ってないな・・。」
「そーでしょ! デュライド君も行こう! フエン、私ねー、お料理うまくなったんだから! 」

半ば無理矢理にフエンを引きずってサユはブリッジを後にした。
この物語の中でははじめての事ではあるが、サユが弟の事で暴走しだす事は第49独立特命部隊の中では有名な話であった。
最近はめっきり少なくなっていたが、士官学校からの付き合いであるシュンは月基地転属の話を教官に食いつくサユのせいでとばっちりを食らった事もある―興奮のあまり教官の胸倉を掴み、張り倒されそうになったサユを庇ったのである。二人とも一週間の謹慎。

その弟が今目の前にいるのだから、本当はダメなのだが今日だけは大目に見ようと艦長自らが皆に言い渡した。

「レヴィン、進路の方は? 」
「ああ、ばっちりディナ・エルスに向かってるさ。」
「それでは言うのが遅くなっちゃったけど、半減休息とします。皆も食事を取りなさい。先に決めておいたシフトで、ブリッジ要員は各自の時間に持ち場で待機。くれぐれもローテーションの交代時間を忘れないように! 」
「「「「「「了解! 」」」」」」

新たな仲間を加えた一行は、一路その宇宙(ソラ)をゆく。
中立のコロニー、ディナ・エルスに向かって。

〜第34章に続く〜


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