Phase-11 龍の宮
周りの賑やかさとは別に、その場所だけ凍りついたような空気だった。
「もう一度言う。MIHASHIRAシステムのデータ、渡してもらおう」
コウ・クシナダは目の前の男がどこまで知っているのか非常に気になっていた。
MIHASHIRAシステムのデータを持っていることなど、誰が知ろうか。
いや、誰も知らない。
「調べはついている。君が、持っているというね」
「……ならばアレがどんなものか知っているはずです」
平静を装っているが、コウの表情は強張っている。
男は自分の知っている情報の全てを読み上げた。
MIHASHIRAシステム。
かつてとある科学者が連合の開発した「SYTEM A's」に対抗して作ったブーステッド・システムの名称。
システムが起動すると、過去のエースパイロットの経験、知識の全てをデータに変換。
パイロットの脳に直接送り込むことで、ノウハウなどを瞬時に刻み込み、MSに乗れない人間でもエースパイロットに匹敵するほどの能力を得ることが出来る。
ただし、こういったブーステッド・システムには副作用がつき物で。
脳、精神、肉体の全てに異常が齎され、最悪の場合は命が尽きると言う禁忌の力。
「そこまで知っているのならば、このシステムを使用し続ければいずれ死ぬってことも分かっているでしょう!?」
「ああ、知っている。だが使うのは私ではない」
そう言って視線を一人の少女に向ける。
彼女に使うという言葉を聞いたとき、コウは正気を疑った。
あんな10代前半の少女に「MIHASHIRAシステム」を使うなど、肉体が耐えれるはずがない。
もちろん精神も、何もかも未熟すぎる。
「まぁ、何も今日中に渡せとは言わない。一週間だけ待つ。その間に決めておいてくれ」
そしてコウの肩に手を置き。
「良い返事を期待しているよ」
そういうと男は少女を連れてロビーを出た。
周囲の賑やかさが、再びコウを包む。
この場所だけ、まるで時間が止まっていたかのような錯覚。
彼は、ロビーから自分の研究室へと移動した。
***
かつて彼は、「MIHASHIRAシステム」を巡る戦いに身を投じていた。
その中でザフトの女性兵「エリス・アリオーシュ」と出会い、幾つもの死線を潜り抜けてきた。
また血の繋がった弟「ディノ・クシナダ」との死闘。
「MIHASHIRAシステム」を用いた全力での戦いの末、コウはディノを撤退させる事に成功。
ただ、兄弟の間に大きな亀裂を残したまま。
その後の戦いで、彼は世界を手中に治めようとする組織と戦い。
その末に勝利を手にした。
彼が手に取ったのは一冊の辞典。
その中のページはくりぬかれ、ディスクが収められている。
これこそが「MIHASHIRAシステム」のデータ。
これがあの男の手に渡った時、戦乱は更に加速する。
「何としても、守らなきゃならない……。このデータだけは、俺が」
辞典を戻し、作業場へと戻った。
***
一週間はあっという間だった。
四日目には第十ブロックが完成し、その完成披露パーティが行われた。
だが、その中でもコウの心はその場には無かった。
あと三日、三日で期日の日が来る。
もし断れば、どうなるか。
おおよその話の筋は見えている。
だが、だからといってこのリューグゥを再び戦火に晒すわけにはいかない。
何とかし無ければならないのだ。
(そうなったら、アレを起こすしかない……守るために)
そう考えた脳裏に浮かんだのは第九ブロックの奥にある開かずの倉庫。
そこに、「剣」が眠っている。
守るための、また戦うための。
「それでは、ここでクシナダ技術主任からお話を頂きたいと思います」
現実に戻る。
夜な夜な考えていたスピーチ原稿を読み上げる。
そこに綴られているのは彼の考え、そして想い。
この混迷の世界で、少しでも安心して暮らせる場所。
そう考えてこの第十ブロックを作ったのだ。
同時刻。
リューグゥより遠く離れた北欧。
カラーズの面々を降ろしたミストラルがスカンジナビアを発ったのは昨日の事。
謎のMS襲撃の事もあり、予定よりも遅れてしまったが、オーブへ一度戻る事にした。
襲撃したMSの事を報告しなければならない。
こればかりは定時連絡だけではどうにもならない。
何せ「見たことの無い」MSが突如現れたのだから。
「周囲に機影、艦影は?」
「確認されません」
「そうか……。いやに静かだがなぁ……」
そう。
スカンジナビアに向かう時も、こうしてオーブに戻る時も。
連合、ザフトの両軍ともほとんど遭遇しなかったのだ。
この静けさが、妙に恐ろしく、怖い。
「引き続き、索敵・警戒を怠るなよ。敵はどこに潜んでいるか分からないんだ」
「そういえば」
リエンの指示が一通り終わった時、ミリアがポツリと呟いた。
「リューグゥの第十ブロック、完成したんですって」
「へぇ。コウも頑張ってるんだなぁ……」
今は地球軍から独立しているので、簡単にミストラルが入港できるわけではないが。
また一段落したら、リューグゥにでも寄ってみよう。
一人の軍人としてではなく、一人の人間として。
***
六日目、彼は突然現れた。
「……どうして! まだ期限まではあるはずです!」
「いや、気が変わった。今、答えをハッキリしてもらおう」
全く真意がつかめない。
こちらを揺さぶるのか、何が目的なのか。
この男の腹の内が見えない。
(そういえば、この間一緒に来ていたあの子がいない……?)
「MIHASHIRAシステム、それに興味を抱くのはごく自然な事だとは思わんかね?」
「思いません!」
「それは君が当事者だからだ。科学者ならば、あの力、手にしたいと思うものだ」
「帰ってください! 俺はもう、俺には! 関係のないことなんです!」
そう言うとコウは荒々しくロビーを出る。
気が変わった?
まるで欲しいものを早く手にしたい子供の言い方だ。
そんなやつがあのディスクを手に入れたら、世界は崩壊する。
「あ、コウ。……どうしたの?」
「何でもないさ……!」
嫌に起こっている彼の様子を敏感に察知するのはリト・クシナダ。
かつてコウと親しい中にいながら、敵として対立した過去を持つ女性。
今はその事を心に仕舞いながら、コウのサポートをしている。
コウの部屋に戻ると、彼はディスクを取り出す。
「……リト、もしこのデータを狙う人が出てきたとしたらどうする?」
「それ、MIHASHIRAシステムの……。そうねぇ、私だったら……。お墓まで持っていく、かな」
「……だよな」
それほどまでに危険なものなのだ。
果たしてその事を彼が理解しているか。
「だが、遅いようだな」
背筋が凍る。
ドアに寄りかかっているのは、ディスクを欲しているあの男。
その男の視線が、コウの握るディスクへと向けられる。
そして、口元が歪む。
その笑みを見て、咄嗟にコウがディスクを隠したが。
「それを渡してもらおうか」
「……最初から、こうするつもりだったのか!」
「断ろうが、協力しようが関係ないさ。君はいずれ私の前に『敵』として立ちはだかる事は目に見えている。だったら」
懐からハンドガンを取り出す。
「今ここで始末するのが、最適ではないかね?」
「コウ! ちょっと、貴方! 何なのよ! いい加減にしないと、警備員を―」
銃声。
リトの目が見開かれる。
目の前に散る紅い鮮血。
だが、不思議と痛みはない。
彼女の足元に、重い音と共にコウが倒れこむ。
「コウッ!!」
「ぐ、あぁ……」
右肩を貫かれている。
水溜りのように広がる血液。
男はゆっくりと近づき、コウが手放したディスクを拾い上げる。
裏表を確認し、踵を返す。
「では、このディスクは貰って行く。まぁ満足したからな、今日は殺さずにいるとしよう」
「ま、て……ッ!」
消えるようなコウの声。
しかし男の姿は部屋から消えていた。
コウはよろよろと立ち上がると、机の一番下の引き出しから麻酔を取り出す。
麻酔を打ち込み、神経を麻痺させ。
「あの男を追う!」
「無茶だよ! だって、血だって止まってないのに!?」
「今ここで! あのディスクが世に出るほうが! よっぽど危険なんだ!」
ここまで感情の荒れたコウを見るのは実に久しい。
そこまで、彼は。
だが、そんな彼らの考えを、纏めさせようとはしない者がいた。
リューグゥが激しく揺れる。
そして爆発。
「爆発!? 管制室、こちらコウ・クシナダ! 何の爆発だ!」
『く、クシナダ技術主任! それがも、MSが!』
***
「さて、沈んでもらおうか。この龍の宮には。やれ、スターダスト」
『りょーかい。ふふ、いーっぱい壊すんだから!』
リアナの乗るCODE-αのビームライフルが、リューグゥへと降り注ぐ。
逃げ惑う人々。
平和と思っていたこのリューグゥが再び戦場になってしまった。
自室で外の様子を目の当たりにしたコウとリト。
コウは決心した。
「リト、管制室に行って警報を出すんだ。今からここは戦場になる」
「戦場って……応戦するつもりなの!?」
「……」
無言で頷く。
「だって、そんな事したら今度こそリューグゥは―」
「これは守るためだ、守るためなんだ!」
「……でも」
「……分かって、もらえないかな」
しばしの空白の後、リトは頷いた。
コウはそれを見ると、ここに住む人々を第十ブロックへ避難するようにとだけ伝えた。
部屋の前でコウとリトは別れ、コウは第九ブロックへと向かう。
首から提げたカードキー。
肌身離さず身につけていたものだ。
出来るなら、このキーを使いたくはなかった。
第九ブロックまでは、エレベーターを使い、最下層まで降りる必要がある。
そのブロックの更に奥。
資材置き場と思われるその一角に、決して開かない倉庫がある。
そう、ちょうど「MSが入るほど」の大きさの。
カードキーで倉庫のロックを外す。
中の明かりをつけ、片膝をつき待っていたそれを見上げる。
MS、クシナダガンダム、別名*‐アスタリスク‐アストレイ。
前の戦いが終わった後、かつての乗機だったスサノオをベースに再開発されたMS。
コクピットに乗り込み、OSを立ち上げる。
「もう一度、行くぞ、クシナダ……!」
かつて第九ブロックに通じる資材搬入用通路、そこからクシナダを運んだ。
そして今、地上へと向かうために。
「コウ・クシナダ、*アストレイ、参る!!」
***
リューグゥ上空300m。
CODE-αはそこからひたすら銃撃を続けていた。
ディスクを回収したハイウェル・ノースが船に乗り、リューグゥより離脱した事を確認すると、背部フライングユニットからミサイルを放つ。
「死んじゃね、皆」
トリガーを引く。
着弾するミサイル。
もはや崩壊は時間の問題か。
いや、違った。
CODE-αのレーダーが海面より浮上する何かを捉える。
水しぶきと共に、それは現れた。
「な、MS……!?」
太陽の光を反射し、輝く*アストレイ。
「……」
コウは静かに、目の前の敵を見据える。
そして、*アストレイが動く。
ビーム刀剣「ウツノタチ」を二振り、両肩から抜き放つ。
「はぁぁぁぁっ!!」
コウの叫びと共に、まずは右の一撃。
避けられるが、まだ左の剣を振るう。
その一振りをシールドで弾くと、CODE-αはビームライフルを構える。
が、反撃でライフルを構えることは予測していた。
*アストレイのニーキックが、そのライフルを吹き飛ばす。
リアナは驚愕した。
たった一人に、ここまで追い詰められるなんて。
そういうと、恍惚の表情を浮かべる。
「はぁ……ん、さいっこーね、貴方!」
おそらくそれがそのMSの最高速度なのだろう。
コウの反応速度が遅れる。
「ほら、ほら、ほらぁっ!」
「……コーディネイター、なのか!?」
CODE-αのキックが決まり、*アストレイがリューグゥの地表に叩きつけられる。
激しい衝撃が、コウの体を揺さぶる。
先ほどまで感じていなかった肩の痛みが再び疼き始めた。
CODE-αがビームライフルとミサイルを放つ。
爆煙が、*アストレイのモニターを包む。
それを管制室で見ていたリト。
その瞳に涙を浮かべながら、マイクを手に取る。
「近くの海域を航行中の、誰か……! お願い、リューグゥを、コウを助けて! 助けてよぉ!!」
何度も何度も彼女は叫び続ける。
可能性はゼロに近いかもしれない。
何分、何時間叫んだだろうか。
もはやリトの声はボロボロだった。
モニターでは、*アストレイが応戦しているが、相手MSに完全に押されている。
「やめて、やめてぇぇぇぇっ!!」
刹那。
レーダーに光点が表示される。
オペレーターの一人が叫ぶ。
「クシナダさん!」
「!」
『……ら、……と……る。……ちら、ミス……』
「ノイズが酷い……! もしもし、聞こえますか!?」
『ら……こちら、オーブン独立遊撃隊ミストラル! リューグゥ、何があった!』
「ミストラル……!? ルフィード大佐さん!」
『リト・クシナダ……! 救難信号をキャッチしたから来て見れば、一体何があった!』
リトは手短にここまでの事を説明する。
説明を受けなくとも、目の前で起こっている事を見れば大体の察しはつくのだが。
『だいたい分かった。すぐに応援を向かわせる!』
「お願いします!」
通信を切った後、ミストラルブリッジでは発進シークエンスが進められていた。
今回出撃するのはかつてより親交のあったフエン。
デュライドも出撃をしたかったのだが、メンテが間に合っていなかった。
カタパルトに乗り、発進するイルミナ。
SFSに乗り、上空の敵へと向かう。
その姿は、スカンジナビアで遭遇したあのMSと酷似している。
だが、今はそれを考えている暇は無い。
「コウさん! 援護に来ました!」
『イルミナ……フエンか!? 助かる!』
イルミナと*アストレイがCODE-αを狙い打つ。
四方からのビームに、CODE-αも捌ききれていないようだ。
徐々に被弾箇所が増えて行く。
「フエン、切り込む! 援護を頼むよ!」
『分かりました!』
イルミナのビームライフル、それがCODE−αの足を止める。
*アストレイの背部に装備された空中戦用パック「シテン」の翼の先より、ビームの刃が展開される。
更に両手には「ウツノタチ」。
「ここから、消えろッ!!」
すれ違いざまにCODE-αの左腕、左足を切り落とす。
空中でバランスを崩すCODE-α。
「こんな、私のMSが……!」
『戻れ、スターダスト。目的のものは手に入れた』
「でも、あいつら!」
『このデータで、お前は更なる力を得るさ。それで良いだろう?』
納得したのか、CODE-αがリューグゥ上空より飛び去った。
戦闘は終了した、多大な爪痕を残して。
***
戦闘終了後、クシナダとイルミナは第十ブロックへと降り立った。
海上にはミストラルの姿もある。
ラダーを使って降りたコウを待っていたのは、賛美の声ではなかった。
「一体どういうことなんだよ! ここが戦闘になるなんて聞いてなかったぞ!」
「そうよ! 平和だって、安全だって言うからここに来たんじゃない!」
「俺たちが平和に暮らせるようにって、アンタも言ってたじゃないか! えぇ!?」
その罵声に、コウの表情が沈む。
そう、こうなる事も分かっていたんだ。
「待ってよ!」
罵声を引き裂いたのはリトだった。
ずっと管制室で戦いを見ていた彼女。
「コウは、守ろうとして……ここをこれ以上危険に晒したくないからって」
「知るかよ、そんなの! だいたい、何でMSが隠してあるんだよ! ここが襲われるの、知ってたんじゃないのか!?」
「何よそれ! ちょっと、ふざけたこというのもいい加減にしなさいよ!」
「良いんだ、リト」
誰の声よりも大きく聞こえる錯覚。
コウが静かに口を開いた。
「今回の襲撃の原因は自分にあります。どんなに守るためとか言っても、信じてなんかもらえない」
「そんな……」
「だから、言い訳はしません。罵りたいだけ罵ってもらって構いません。それだけ、自分は皆さんに対して、嘘をついたんだ」
不思議と、コウが喋る時、皆が口を開こうとはしない。
確かにコウはそれ以上、言い訳はしなかった。
ただ一言「申し訳ない」と言い、頭を下げた。
その様子に、すっかり感情が冷えたのか、先ほどのような罵声は飛び出さなかった。
だが、これからどうするのか。
「本当ならばルフィード大佐、貴方たちと一緒に行きたかったです。でも、やるべき事が出来てしまいましたね」
「リューグゥの工事だろ?」
リエンが言う言葉に、コウは頷いた。
「自分の責任で、リューグゥを去ることは簡単です。でも、それじゃあ何も解決しない。投げ出すなんて、俺は嫌だ」
コウが一息つく。
「だから俺は、もう一度、リューグゥを直してみせる。絶対に! だから、皆さん」
住民に向き直り、コウが再び頭を下げる。
「力を、貸してください」
***
コウはリューグゥに残る事を決意した。
ミストラルは長居をするとまた変な勘違いで襲撃を受けたら困るだろうということで、早々に立ち去る事になった。
「コウさん、頑張って……! 僕も頑張りますから!」
小さくなるリューグゥを見つめ、フエンは決意を固める。
ミストラルは、一路オーブへと戻っていった。
(Phase-11 終)
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